僕の20歳代前半の話をしようと思う。
みんなに話すとビックリされるのだが、僕は整体師になる前は似顔絵の仕事をしていた。
当時、実家暮らしで岐阜県に住んでいた僕は愛知を中心に岐阜、三重、静岡のショッピングセンターや遊園地で似顔絵を描いていた。
今は整体師なので同じ職場に出勤するわけだが、その頃はいつも1〜2時間かけて違う現場に向かう毎日をおくっていた。
絵描きをしていた過去の話をすると多くの人に
『小さい頃から絵を描くのが好きだったの?』
と聞かれるのだが僕の場合は違った。
むしろまったく絵は描いてこなかった。
僕は10代〜20代前半にかけて、あらゆる仕事を経験してきた。
- 定食屋のホール・キッチン
- ラーメン屋
- ホテルの清掃
- 居酒屋
- スキー場
- 引っ越し屋
どの場所で働いても人並みに仕事をこなす事ができず、常に周りの同僚から怒られ続けて生きてきた。
そんなポンコツな人間が、周りの人間と同じようにサラリーマンとして働くことなんで到底できない。
どんな仕事ならポンコツな僕にでも務まるのだろうかと考えに考え抜いて出した答えが似顔絵師だった。
小学校の頃、図工の時間に書いた絵画が入選することが多く、親からよく誉められてたのを思い出し、
(もしかしたら僕には絵の才能が眠っていて、似顔絵というニッチな分野に絞って研鑽を積めば日本一の似顔絵師になれるかもしれない)
そう思って、一念発起で似顔絵の業界に潜り込んだのだ。
下記の画像は僕が現役時代に描いた似顔絵の作品である。
【↑バイキング:小峠さん】
【↑雨上がり決死隊:蛍原さん】
【↑:渡辺直美さん】
全国的にも有名な似顔絵の会社に所属していたので、今見返してもそこそこ上手く描けていると思う。
ただ、、僕より上手い人はたくさんいた。
絵で食っていきたい!と本気で思う人はみな小さい頃に、寝食を忘れて絵を描きまくっていた過去があったり、授業中に机に落書きをしまくって先生に怒られていた経験がある。
僕にはその経験がなく描いてきた量が圧倒的に足りなかった。
周りの絵が好きな同僚たちは絵を仕事にしてもなお狂ったように描き続けているのに、絵を描く事自体がそこまで好きじゃない僕との差は埋まるどころか離れていく一方だった。
絵の世界は残酷で才能があるのは当たり前で、尚且つこれまでどれだけ絵を描いてきたかの絶対量が物を言う世界だった。
3年近く頑張ってみたのだが、自分がこの世界でのし上がっていける未来を思い描く事が出来ず、似顔絵の仕事を辞めることにした。
当時の事を振り返ってみると、しんどかった思い出がいろいろと蘇ってくるが、この苦しかった経験が今、整体師として活動する自分にとって大きな糧になっていたりするのは事実である。
カラダPRO オーナー池宮