* 「怒り」はまさに細胞を酸化で「焼く」イメージがします。
* また、女性の怒りは下腹部に蓄積する、とも感じます。
このように書きました。
では、どうしても自分に「怒り」が湧いて来る時には、どうすれば良いのでしょうか?
「怒ると、自分で自分自身の細胞を焼いて病気に成る。それは損なことだから怒らないように」
このように言われましても、余計に自分の怒りの収め方が分からずに、未消化の怒りを自分の腹に溜め込み苦しむ人がいるかも知れません。
人は、自分の怒りを昇華させることが出来るか否かが、その人の寿命も、金運も、幸運も、結婚も、運命も違える重要な要素だと感じます。
例えば、自分の怒りを収めることが出来ずに、もしこれを暴力に訴えれば自分が刑務所に行く羽目に成ります。その後の人生が根底から変わってしまいます。
自分自身の「怒り」の処理次第で、自分と他人の運命が変わってしまう重大な問題が「怒りの収め方」なのです。
怒りに対して、「怒り」で対応すれば、これは切りが無い世界です。
ヤッタらヤラれる。
これを縁ある相手と永遠にリピート再生(転生:生まれ変わり)することに成ります。
釈尊は、
* 人は、怒りを持つ限り、転生は永遠に終わらない。
と断言されています。
嫌な相手との因果が終わらずに、何度死んでも「同じような相手と出会い」、同じような「繰り返し」を、生まれる時代を変えて一から何度でもやり直します。
実は、これこそが私達が地球に生まれている理由なのです。
私自身も、このような話を世間にする使命を、何度も生まれ変わってもしています。
今の文明では、最初に3600年ほど前に古代ペルシャに生まれた時は、善と悪の真相の対立軸を言い過ぎた為に、使命を途中で果たせなくなった痛い思い出も有ります。今でもその転写が一部に有り注意しています。
そして、肝心な怒りの収め方なのですが、
自分の怒りには、怒りで対応せずに、
* 自分の愛情力を持って、「仕方がないなと」怒りの対象にも愛情を向けること。
* 自分の怒りにも、「それでも自分は生かされていること」に感謝すること。
でも、こんなことは不可能だと思う人が居るかも知れません。
しかし、自分の子供が幼児の時は、だだをこねましても「仕方がないね」と「愛情」を持って誰もが真剣には怒りません。
自分自身が幼児の時も、親がそうして来たことです。
本当は、人は誰もが「愛情力」「生かされている原点への感謝」「それも仕方がない」という思いで、怒りに対応することが出来ます。
出来ないと思うのは、自分の心にフタをしているだけです。
素直に成れば、心のフタは必ずズレます。救いの隙間が開きます。
しかし、怒りにも色んなケースや環境も有り、単純に一概には方法が言えません。あくまでも重要なヒントだと思って頂ければ幸いです。
これからも皆様と、「怒りの収め方」について考えて行きましょう。
ある国では、民衆の怒りが、元の女性代表者に自殺の死相をも起こさせています。
こんなことは、どちらにも良い因果を生まない不幸なことです。国家の未来にも悪い因果を創ります。不幸なことです。
言えますことは、感謝の先祖供養(遺伝子調整)こそは、理屈を超えて怒りを昇華させる最善の方法です。実践が自分に教え、先行きを導きます。
自分で自分自身の怒りを克服・乗り越えて行きましょう。
(続きます)
生かして頂いて 有り難う御座います