弱者の切り捨て
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伊勢ー白山 道
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良心は育てるものです
09/08/19 09:21

自分が生かされている原点に感謝をし始めますと、先祖が命を繋いで呉れた恩恵に気付きます。
自分には分からないが、先祖の中に死んだ時の状態で固定化されて苦しんでいる先祖が居れば、何とかしてあげたいと思うのが「慈悲の心」です。
ようは、実際に苦しい先祖が居るとか居ないとか、地獄が在るとか無いとかは関係ないのです。
お世話に成った人々やアタリマエな事にしてしまっている隠れた恩恵に対して、感謝して「思いやり」を持てる心を自分が持っているかどうかが一大事なのです。

今、自分がこの世に実在しているのは、否定しようのない事実です。人間なんて簡単に死にます。子供の居ない夫婦や独身で終る人も、過去の時代から普通にたくさん居ます。
道を歩けば、危険な車が走っています。食べ物が喉に詰まっても人は死にます。
この厳しい現実界において、自分一人で生きているなんて思うのは思いあがりです。
現状を正しく認識すれば、一方的に先祖霊に感謝をしたくなる慈悲の思い遣りが湧くのが正しい姿です。

見返りを期待しない慈悲の思い遣りを持てる人は、必ず神様から救われます。本当の神様は、
頼まれなくても正しい事が世の中に循環する様に公平に作用しているからです。
自分が弱く困る先祖に対して持った思い遣りの心は、反射して自分自身を救うのです。
*迷う先祖など相手にすれば自分が霊障になり損をする。
*強い神様に御願いすれば、得をする。
*利益目的で先祖供養をする。
などなどの考えと行為の反射は何でしょうか?
弱い者を避けて、強い者に擦り寄る卑しい信仰が蔓延してきました。これでは、人の良心は奥に隠れるばかりです。
良心=内在神だけが、死後の次元へ同行します。
宗教的な修行や見神見性の体験なども、死の川を渡る時には役に立ちません。人生の途中における一時の感応などは、大した意味が無いのです。
大切な事は、生きている間に如何に「思いやりの心」を発揮したのか?良心を大きくする事が出来たのか?だけです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます