ムダな苦労などありません
13/10/13 11:34




崇神天皇(すじんてんのう)は即位してから3年9カ月後に、奈良県の「三輪山」の西麓に三種の神器と共に皇居を移動させました。
そうしますと、崇神5年に疫病が流行し、多くの人民が死にました。
崇神天皇は、三種の神器(鏡・勾玉・神剣)の中でも、特に天照太御神の化身とされる八咫鏡(ヤタノカガミ)を、古代から存在する三輪山の神に近付けたために奇異が起こると考えました。

また、夜な夜な発光したり鳴動する三種の神器を、即位してから初めて間近に見た崇神天皇は、政治という人民の命を左右させる穢れ事を行う自分の側に、天照太御神の化身の八咫鏡を安置することが不敬であり生けないとも考えました。
このように考えた崇神天皇は、皇居で天照太御神と日本国の「大和の国魂」(ヤマトのクニタマ。今の天理市に白山から移動降臨した、天之御中主神・アメノミナカヌシノカミ。国常立太神がその正体)
を祭ることを中止して、崇神天皇の皇女・豊鍬入姫(とよすきいりひめ)に八咫鏡を持たせて、天照太御神を祭るに相応しい場所を捜すようにと、崇神6年に命じました。

上図の(1)~(6)番は、豊鍬入姫(とよすきいりひめ)が、天照太御神の神鏡と共に、さまよわれた足跡です。
しかし、ご自分が移動できる体力がある内には、神鏡が落ち着く・鎮まる場所を見つけることが出来ませんでした。最後は、痩せ細られて移動が不可能に成られていました。
そして、次の天皇の皇女である倭姫(やまとひめ)へと神鏡を託します。

(7)~(23)番は、次代の垂仁天皇の皇女・倭姫がさまよわれた道程です。最後は、伊雑宮で終わります。名古屋方面から伊勢までの最後の移動軌跡は、北斗七星の形象に成っています。
そうして、やっと垂仁25年に、現在の伊勢神宮内宮の場所において、八咫鏡が落ち着く場所を倭姫が見つけたのでした。
神鏡が三輪山の側を離れて、すでに90年間も経過していました。
(上図は近江雅和『記紀解体─アラハバキ神と古代史の原像』より引用)

ちなみに八咫鏡が三輪山を離れた祟神6年以後も、疫病・不作が起こり、崇神天皇ご自身も熱病にうなされ始めました。
そうしている時に、皇室の孝霊天皇の皇女に三輪明神が降臨・憑依して、
「我を拝めよ。もっと大切に祭れ。そうすれば許してやろう」
と崇神天皇を恫喝しました。
これに折れた崇神天皇は、皇女の神託で告げられた内容の通りに、今の大阪府八尾市の沼地になぜか住んでいた大田田根子(おおた た ねこ)と自称する人間が存在することを発見し、この人を祭主として三輪明神を国家で祭りました。
そうしますと、直ぐに疫病は終息し、五穀豊穣となりました。

この大田田根子とは歴史の謎の人物なのですが、私には色の白い白蛇の化身のような、性別が不明な人物に視えます。肌が、白人のように白いです。
渡来人も含めた歴史と、日本の不思議な精霊信仰の化身の出現を感じます。

今日の話で言いたかったことは、天照太御神を背負う皇女でも、安住の伊勢に行き着くまでに90年間も要しているわけです。行く先々で多くの苦難に遭ったことでしょう。
神様の神託があるならば、なぜ奈良から伊勢へと直ぐに行けなかったの?
と私たちならば考えるかも知れません
しかし、この苦労の足跡が神様にも必要だったのです。皇女は知らずに、国家安泰の霊的バリアーの形象を大地に刻印したのです。
私たちの苦労も、すべてに意味があり、ムダでは無いのです。

今のどんな苦労にも感謝して、頑張りましょう。
必ず未来の自分を助ける霊的バリアーに成ります。

生かして頂いて ありがとう御座位ます