天皇防護 小泉太志命(こいずみたいしめい) 祓い太刀 の世界
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八戸といえば、
 

安藤昌益先生も有名ですが、
 
このような方がいらっしゃるとは、
 
本当に知りませんでした。
 
 
もちろん、
ご存じある方が多いと思いますが、
 
僕は知りませんでした。
 
恥ずかしく思います…。
 
 
 
あらためて、その翁の名は、
 
小泉大志命(こいずみ たいしめい)。
 
 
略歴的にご紹介、
僕なりに感じたことを記します。
 
 
●明治40年8月30日
 八戸に生まれる
●大正9年3月
 八戸鳥見小学校卒業
●大正9年8月
 三戸鳥屋部小学校の代用教員
●昭和2年
 今泉定助翁に招聘
今泉定助 - Wikipedia

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今泉翁は、
八戸にすごい鹿島神流の
青年剣士がいることを知り、
東京の邸宅に招く。
 
小泉青年のなかに
尋常でない霊能を見出し、
 
これを伸ばす手伝いをしようとされた。
 
 
●昭和9年1月
国士舘の内紛に際し、
左翼勢力に不法監禁されていた
国士舘館長の柴田徳次郎を救出。
 
小泉青年は、
ステッキ1本を持っただけで、
救出劇を成し遂げる神業。
 
小泉青年の優れた霊能と
剣道の実力を見抜いた今泉翁は、
 
小泉青年を「大志の命(みこと)」と呼び
かわいがるようになる。
 
小泉大志は、66歳になり、
「大志」から「大志命」と戸籍を変える。
 
 
●昭和12年4月
立命館の総長である中川小十郎の依頼により、
立命館にて剣道と皇道精神を教える。
その間、3年間、京都に居住。
 
中川総長から重大な依頼を
受けることとなる。
 
重大な任務とは、
 
伊藤博文の腹心で、
のちに総理大臣に就任した
西園寺公望の願いを
中川総長が取り次いだものだった。
西園寺公望 - Wikipedia

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西園寺公は、
天皇陛下をお護りするには、
 
政治的な配慮のほかに
最終的には霊的庇護に
頼らざるを得ないと思い、
誰か適任者はいないかと探していた。

 
陛下に降りかかる呪詛や怨念を
剣の力で日々払わねばならないと
常日頃から考えていた西園寺公は、
 
中川総長に相談していた。
 
 
西園寺公は、銘刀「政宗」の収集家で、
日本刀のもつ威力と霊力については
熟知していた。
 
神社神道の形式的なお祓いや
真言密教の加持祈祷では、
 
とても内外から押し寄せる邪霊、
悪霊を払うことはできない…。
 
皇室に降りかかろうとしている災厄を
古来の剣祓いの威力ではねのけ、
 
帝国の前途を切り拓いてくれる人物は
いないかと西園寺公は探し続けていた。
 
 
こうして、白羽の矢が向いたのは、
小泉大志命翁であった。
 
 
中川総長は、
家宝としていた備前則宗の銘刀
「菊一文字」を小泉青年に差出し、
小泉青年に懇願した。
 
 
小泉青年は、
打てば響くとばかりに即答した。
 
「承知いたしました。
 不惜身命にかけて
 執り行わせていただきます」
 
 
こうして、
昭和天皇陛下である
裕仁(ひろひと)天皇を
陰でお護りされたの人が、
 
小泉大志命翁なんですね。
 
昭和天皇 - Wikipedia

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裕仁天皇陛下をお護りするべく、
 
伊雑宮のある伊雑の地に道場を建て
 
伊雑宮 - Wikipedia

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1日3万3000回、
真剣を振り続け、
邪気・邪霊を振り払い
 
さらには、
1日3万3000人の未来の種人を
生み出すことへの祈りも捧げた。
 
 
 
●昭和64年1月7日
 昭和天皇ご崩御
 
●平成元年9月2日
 小泉大志命 帰幽
 享年82歳
 
 
 
昭和20年(1945年)、
敗戦により、終戦を迎えました。
 
 
戦時中、
皇居へのB29の爆撃も、
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大志命翁の霊力により、
神懸るかの如く、免れます。
 
本書籍によりますと、
爆撃の任務を受けていたB29が、
 
突然消えたというお話です。
 
 
僕は、信じます。
 
 
 
戦時中、
そして、戦後の貧困。
 
日本国民、
戦死された英霊、
外国の戦死者…
 
様々な怨念などと
向き合われた昭和天皇陛下。
 
尋常ではない精神だったと思います。
 
 
この裕仁天皇を
生涯死ぬまで、
陰でお護り続けた男
 
小泉大志命翁。
 
 
僕は、宮崎貞行さんの書かれた、
「小泉大志命 祓い太刀の世界」を読み、
 
 
先達の方々の日本を護るための
壮絶な生き様があり、
 
今の僕たちが生かされているんだと
 
涙が出るほどに
あらためて感じることができました。
 
 
ぜひ、八戸に住んでいらっしゃる方は、
必読書であると思いますし、
 
日本人としても
一度は、向き合いたい
とても重みのある一冊です。
 

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話が前後しますが、
 
小泉大志命翁には、
 
食事や身の回りの世話をする
老女がいました。
 
 
その名は、清川トメ。
 
トメさんは、
八戸の白龍明神を信仰し、
 
その伝言を運ぶ霊能を持つ女性でした。
 
通称「白龍さん」と呼ばれていたそうです。
 
 
「白龍さん」こと、トメさんは、
八戸の吹上にある白龍神社で
 

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白龍会という信徒団体を組織し、
数々の信託を降ろしていたそうです。
 

 

 
『本日は立春 お導きをいただいた「白竜神社」様』
こんにちは。 良観です。  本日は、立春。   今日は、とある方と、とある場所へ。   その場所とは、白竜神社様。   僕も、全く知らなかったんですが、 小泉…

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実は、西園寺公から
重大任務を告げられる前に、
 
トメさんが、
七龍明神からの託宣が
次々に降ろされていたそうです。
 
昭和9年11月26日から
12月11日にかけて 
 
「ニニギの命」と呼ばれる存在が
八戸の七龍明神を通じて現れ、
 
小泉青年が
「霊士(ひのもののふ)」となって
 
天皇を護る任務があると
知らせていたのだそうです。
 
 
故に、小泉大志命翁は、
 
中川総長からの重大任務を、
即答でお応えになったんですね。
 
 
 
僕個人的には、
白龍さんこと、トメさんのことも
 
もっと知りたくなりました。
 
どなたか、
トメさんのこと、
白龍会のことなど、
 
お知りの方がいらっしゃいましたら、
教えて戴けますと嬉しいです。
 
 
 
最後になりますが、
 
大東亜戦争の敗北の後、
 
心身共に荒廃してしまった日本を見て、
 
立て直そうという決意を秘めた
歌をご紹介します。
 
その歌が書かれていたのは、
『八戸いはれ』という
東北の要衝八戸の来歴を紹介する巻紙に
書かれていました。
 
 
故郷(ふるさと)の 天地(あめつち)汚れ 清祓ふ
 
八の戸開く 御代の春寿ぐ
 
白龍の 姫の正道 ひと筋に
 
貫き給へし 君が微笑み
 
吹上の 神の鎮めの 元つ宮
 
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八柱(やはしら)神の 八の戸開く
 
 
 
本書籍解説より、
 
南部地方には、
一の戸から九の戸まで揃っているが、
 
八の戸を開くこと、
 
八柱神の八の戸を開くことが
 
日本新生の鍵を握っていると
大志命は考えた。
 
のちに大志命は、
 
 
八八(やや)を開きて
 
九九十十(こことと)のふ
 
十十(とと)のふ
 
九九八八(ここやや)を開きて
 
 
という言葉をもとに
道を提唱するに至るが、
 
それは大志命を育ててくれた
八戸への熱い思いと
無関係ではなさそうである。
 
そしてそれは、
碧緑に沈む神秘な
十和田湖にも関係するに違いない。
 
それぞれの戸は、
十和田湖の十(と)に繋がっていくのである。
 

 
以上、解説引用終わり
 
 
このお言葉は、
 
カタカムナでも
ひも解くことができるそうです。
 
詳細は、差し控えますが、
 
「八八を開きて九九十十のふ」というのは、
 
八神殿で九神の助力を祈りながら、
十種の神宝を唱えること、
 
それにより
天皇の活力と霊力を増大させ、
 
ひいては
日本の国力を増進することと
 
解釈ができるということです。
 
 
また、
八八というのは、
 
無数に重なり合った親心を
意味しているから、
 
親心で万物、万霊に接し、
 
自然に親しみ、
宇宙の大ミオヤの営みに感謝すれば、
 
無数に重なっている場が調い、
 
今ここの場も浄められ、
調っていくという風にも
解釈できるのではないか。
 
 
という解説のお話がありました。
 
 
 
終戦後、大志命翁は、
八戸に戻られた時期があります。
 
その時には、
櫛引八幡宮において、
 
剣道の教え子だった仲間を集めて
剣道の修練を再開されました。
 
櫛引八幡宮の隣の楠公廟前の敷地で
 
櫛引八幡宮
青森県八戸市にある南部一之宮・櫛引八幡宮は、鎌倉時代以来の由緒ある神社で、国宝や重要文化財として保存されている建物や美術工芸品が数多く所蔵されています。また、神前挙式(結婚式)や神葬祭(葬儀)、七五三なども執り行っております。

www.kushihikihachimangu.com
 
朝晩、木刀を振るい、
 
休日にはピラミッドのような形の
名久井岳に登り
 
ご来光を拝みながら剣を振ったり、
 
十和田湖まで遠征して
湖に棲むという
 
龍神に剣祓いを奉納したそうです。
 
 
 
 
 
「八八を開きて九九十十のふ」
 
凄く重み、深みのある言葉ですね。
 
 
僕が住む地域に纏わる場所の名前が
たくさん本書籍でご紹介されていました。
 
 
ホントに、八戸って地は、
 
重要な場所でもあると、
 
そんな気持ちを感じています。
 
 
 
日本列島を、
龍の体に見るのであれば、
 
青森県という場所は、
 
龍の口(喉)に位置すると
聞いたことがあります。
 
 
僕は、もともと八戸生まれでも、
育ちでもないですけれど、
 
結果的にこの地域に
移り住むことになったということ、
 
そして、龍神様の絵を
描かせて戴いたり、
 
そのことにより、
 
龍神様とご縁のある場所や
人との繋がりが瞬く間に拡がっています。
 
 
小泉大志命翁の存在を
教えてくださった方もまた、
 
龍神様に守られている方。
 
 
天の龍神
地の龍神
人の龍神
 
 
という古神道での教えがあるように、
 
やはり、龍神様は、
 
様々にお導きを下さるんだなと
深く深く感じています。
 
 
そして、
僕自身がこの八戸に住んでいること
 
そして、僕にしかできない何かの
 
大使命(大志命)があるのではないか、
 
生意気に、そう感じつつ
 
僕の学びとしての
小泉大志命翁の記事を
 
閉じたいと思います。
 
 
 
長い文面となりましたが、
 
ここまでお読みくださり、
 
ありがとうございました。
 
皆様におかれましても
ぜひ、一読されますことを
心よりお勧めいたします。
 
 
皆様方のご健康とご健勝、
 
そして、狭くは地域、
 
広くは日本、
世界(地球)の世界平和と
 
大難が限りなく小難で
ありますことをここに祈りながら…。
 
 
不思議と、本日は、
2月23日 天皇誕生日ですね…。
 
 
顕彰大神通力
 
越州良観