今の世界の不穏な様相を見て、日本はもう危ないのではないか?
このように不安に思っている御方が増えているように思います。
でも、日本の歴史を見れば、何度も国難に遭いますが、それをくぐり抜けて現代に至っています。ここに、日本の不思議が在ります。

結局、日本を助けて来たのは「祈り」の力であり、幸運だったのです。
今後も幸運が続けば、日本は大丈夫です。
でも、幸運でしか助からないと言われれば、それは不安に思うことでしょう。

しかし、それがそうでも無いという「日本の不思議」を書いて置きたいと思います。
私は永遠の青年のつもりで居ますが、年齢を言えば信じて頂けないほどの歳に成ってしまいました。

昭和の時代と、様々な日本の霊的世界を視て来た私としては、今の内に日本の未来に関することを書いて置きたいと思います。
以下は、まったく根拠の無い私の夢想です。

この宇宙と、この世界と言うのは、必ず陰と陽のセットが存在して初めて成長が起こるように出来ています。片方だけでは滅びるように出来ているのです
宇宙にはブラックホールが存在するように。
人間には、男女が存在するように。
このように、あらゆる物事に置いて陰陽のツガイが存在し、陰陽のツガイを用意が出来た事は発展をします。

そうしますと神事に関することも、同じことが言えます。
表の神事があれば、裏の神事もあるのです。
ここで思い出すことは、明治天皇です。
明治天皇は、大変な霊覚者であり、凄い予言者でした。

明治天皇は、未来の日本に存亡の危機が訪れることを察知し、京都だけの神事では日本は持たない、日本は消える、と察知します。
そして、即位後に直ぐに実行したことは、東京に皇居を移動させて、表神事を行うこと。
そして、京都で、裏神事を行うこと。
この2本(日本)建てで、日本を未来に生かすことを決断します。

明治天皇の秘密とは、その怒涛の霊能力が京都の皇室にまで評判が伝わり、瀬戸内海沿岸部から呼ばれた人物だったと夢想します。
そうなる理由は、明治天皇は、南北朝の動乱で危機に遭った後醍醐天皇の血筋を継承する男系男子が、瀬戸内海に近い辺境の地に逃れた家柄の子孫だったと感じます。

後醍醐天皇の男系男子の血筋を引き継ぐ人物が明治天皇であり、後醍醐天皇が有したという凄い霊能力と神事を継承した子孫だったことが裏の歴史に有ったと感じます。
その時の京都の皇室には、北朝の後継者の男系子孫もおられたが、約2年間、急に登場した後の明治天皇となる人物と、神事の習得度を試験して、どちらが天皇にふさわしいかを選ぶ期間が存在したことを夢想します。

つまり、明治天皇とは、皇室神事の霊能力の優劣で、北朝と南朝の男系男子・直系の子孫の中から選ばれた真の古代の天皇の復活だったということです
ここで、日本列島の形をした天皇霊(大龍神)が有する霊威が大嘗祭を経て、明治天皇に再復活をしたのでした。

明治以降の日本の発展は、その天皇霊の活動の御蔭でした。
そして、第二次世界大戦で日本は敗れて、焼け野原と成りますが、さらなる奇跡の神武景気が始まり、一時的に世界2位の経済力を持つまでに至ります。
つまり、戦争に負けるが得を勝ち取る、という奇跡を皇室神事は起こしていたということです

問題は、明治天皇が他界された以後、その神事の継承は昭和時代までは何とか維持していたと言えます。
皇室神事の威力が低下するほどに、日本の危機が始まることに成ります。

では、昭和時代は誰が、明治天皇の神事を引き継いでいたのか?
表神事は、東京の皇居で昭和天皇がされていました。
問題は裏神事です。
私が受けた啓示では、高松宮(たかまつのみや)と出ます。


(高松宮宣仁親王。非常に立派な尊顔をされています。ウィキペディアより引用)

1913年(大正2年)7月6日に大正天皇の第三皇子・宣仁親王(のぶひとしんのう:長男・昭和天皇の弟親王)によって創設されましたが、子孫が出来なかったので一代で宮家の廃絶と成っています。

この御方の神事が、京都で行われて昭和の日本を陰から支えたと感じます。
京都の裏天皇と言っても良いと思います。
とにかく昭和時代は、東京と京都の二箇所で、陰陽の皇室神事が行われて日本が守護されて発展したと言えます。

問題は、1987年〈昭和62年〉2月3日に、裏神事を継承する宣仁親王が他界されて、日本の陰陽神事が崩れ始めます・・・・。
そこから、日本は様々な国際的な圧力も受け始めたのでした。

でも、昭和に、この裏神事を引き継ぐ御方が、日本の天皇霊(国魂)により用意されていたと私は感得します。
それが意外な御方でした。
茶道に関することです。