「その3」日本が何とか成る理由
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伊勢ー白山 道
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「その2」日本が何とか成る理由
23/04/09 12:58

高松宮(たかまつのみや)に関して調べますと、1913年(大正2年)7月6日に大正天皇の第三皇子・宣仁親王(昭和天皇の実弟)によって創設されました。
そして高松宮は、有栖川宮(ありすがわのみや)の祭祀や財産を継承しています。

有栖川宮は歴代、書道・歌道・祭祀に熱心な宮家でした。
それを、高松宮宣仁親王が引き継いでいるのです。
そういう御方だからこそ、京都で皇室神事を継承する裏の神事の御役目・裏天皇にふさわしい御方だったと私は感じます。

問題は、その高松宮家が1代限りで終わった後に、
東京の宮邸の庭園に在った有栖川御霊殿の祭殿が、2006年に滋賀県の近江神宮に移築されていることです。

ここで私の中では「近江神宮が出た〜〜!」という感じです。
近江神宮こそは、昭和天皇の御命令により1940年に天智天皇を御祭神として新設された新しい神社です。
しかも、伊勢神宮と並ぶ貴重な尊称である「神宮」が使用されています。
これは、皇室にとって重要な神社であることを意味します。

ここで私は、第二次世界大戦(1941年~)が始まる気配が満ちた時期に、危機を感得された昭和天皇は、皇室に伝わる古代からの口伝の伝説が成就するように願いを込めて、琵琶湖の近くに近江神宮を創設させたと夢想します。

私が想像する皇室の口伝とは何か?それは、
(1)人類の誕生は、琵琶湖の周辺から始まっている。

これは国学者・言霊学者・神示者・神道家である大石凝 真素美(おおいしごり ますみ、1832年 - 1913年)という明治時代に数々の予言を的中させ、出口王仁三郎氏に様々な霊学を教えた陰の大師匠が居ました。
この大石凝 真素美が、琵琶湖から人類が発生し、後世に5種類の人類に進化しながらアフリカに人類が至る超古代史を指摘しています。
これは「竹内文献」とも一致する内容です。

こういう内容が、「真実は1つ」の理論として、皇室の口伝とも一致していたと私は感じます。

(2)そして時が来れば、艱難辛苦の時代を生き残った世界中の善人が、日本に集まり、一緒に平和に永遠に暮らすことに成る。
そのためには、人類の始まりである琵琶湖周辺を鎮魂することが、その時期を早めることに成る。

昭和天皇は、こういう未来の世界が来ることが皇室の口伝に存在することを信じて、その時節を告げる神社として、近江神宮を創設されたと夢想します。

私は二十歳過ぎの頃に、近江神宮に呼ばれるようにして、自動車やバイクで行ったことが何度も有ります。
初めて行った切っ掛けは、京都の某神社に参拝している時に、その神社関係者のお年寄りに非常に気に入られて、近江神宮まで自動車で連れて行って欲しいと頼まれたことでした。

その頃は、近江神宮の会館のような施設に多くの人を集めて講演会をしていました。
それが普通の講演会では無くて、神社関係者、教団の教祖たち、特殊な能力者ばかりを集めた講演会を定期的にしていたのです。

その内容は、日本の超古代史や、これからの未来に関することを、集まった関係者の中から希望者が講話する形でした。
関係者限定の講演会でしたが、当時の私はジャニーズ系の色白の青年でしたので(笑「昭和の匂い その3」)、
なぜか無害と判断されたのか何も言われずに黙って中に入って、一人で席に着いて聞いたことが何度かありました。

近江神宮とは、そういう新しい精神的な発展への活動をしている神社でも有ったということです。
私が近江神宮へ行った頃は、高松宮宣仁親王がまだ御存命中だったはずです。
つまり、高松宮宣仁親王は、日本に精神的な時代が復興することを願っておられたと思います。

そして、高松宮宣仁親王は、自分が去った後に、皇室神事を裏側から支えるにはどうすれば良いのか?
これを模索されたと夢想します。
そして、日本の神道が世界の万人に受け入れられるには、特異な宗教の形のままではダメだと気付かれたと夢想します。

そこで、ティーパーティー(茶会)という形の中に、皇室の裏神事を託して、様々な場所で茶会をすることで、日本と世界の鎮魂をすることが、世界に真の平和を早くもたらすと啓示を受けたと夢想します。

では、茶道と皇室、御寺の関係、
優秀な女官たちと「やんごとなき高貴な秘密の子供たち」との関係、
すべての遺伝子たちを陰から見ている黒塗りの自動車とメン・イン・ブラックの関係。

これに関しての日本の「言えない」過去の歴史的な習慣と夢想を、気が向けば書こうかな。危ないかな〜〜止めるかー。
とにかく皇室の男系男子の継続は、大丈夫だと言うことです。パチパチパチ〜〜

(いつか続く)