まず、弥生人は半島からの渡来人とされる場合があり、国譲り神話は縄文人が弥生人に駆逐された物語だとする見解があります。
しかし、昨今のDNA解析で弥生人と縄文人に差異は認められないそうです。
シリウスプラズマ生命体さんのブログから、帰化人に征服されたとありましたので、てっきり帰化人とは、中国、朝鮮から来た侵略者だと思っていましたが、ベリー西村さんを読むと、龍族宇宙人がシュメールで遺伝子操作をしてD遺伝子持った人達だったようです。
純血統の(D1b)の遺伝子を持った人達は先にヤマトゥ国を近畿に築いていて、邪馬台国に滅ぼされるまで300年も平和な理想国家を営んでいました。
その経緯が大国主の国譲り物語としてありますが、
なんかしっくり納得できませんでした.
そしたらそこの謎が詳しく書かれているところがありましたので載せます。
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✨✨出雲の国には、九州、山口、広島、岡山から、秦混成部隊によって、自分たちの土地を追い出された人達が集結していたのじゃ。その人達とは誰だったかのぅ。
👨💼現在で言うアイヌ、沖縄民族の人々と、1万6千年前に文明を造った青森海洋民族の子孫達、それと徐福としてやってきたシュメール系エリート達も加わっていたのでしょうね。
✨✨そうじゃ、日本の人口は20万人でしかなく、そこに60万人もの大移民団、秦混成部隊が加わって、日本の総人口は80万人にふくれあがっていた。
出雲の国に集結した人達は6万人、この6万人が13万もの秦混成部隊と戦っていたのじゃ。
👨💼秦混成部隊がそれまでに制圧した九州、中国、四国での集落人口は、せいぜい500人から200名程度の敵数だったでしょうね。今までの戦争とは、まったくレベルの違う戦いの相手が出雲国という訳ですか。それでは秦混成部隊は苦戦していたのでしょうね。
✨✨攻撃開始からすでに50年もの間、戦いは続いていた。秦混成部隊は、なんど攻撃しても出雲を攻略できなかったのじゃ。
👨💼その長期戦争と龍族エイリアンとは関係しているのですか。
✨✨龍族は人間の戦いには手を出さないが、出雲国には協力し、人々の心を癒すエネルギーを与え続けたのじゃ。
👨💼でも50年以上もの戦いでは双方の疲弊度、兵力消耗度は甚大だったでしょうね。
✨✨何度攻撃しても攻略できなかった秦混成部隊は、そこで最後の手段、諜報部隊を出雲に送り込み、大量の毒を水源に入れたのじゃ。
そればかりでなく、運搬される食料も途中で強奪、これに毒を混ぜて出雲に搬入させた。
2ルートの毒攻撃により出雲国王は死亡、残った兵士、住民達の半数も死んでしまう。
それだけではなく、龍族の2名もこの毒によって死亡し、これに失意した龍族王、龍族達は、地球から本拠地へ帰還したのじゃ。
👨💼では、この時代にはエジプトを支配していたエイリアンは、蛇族だけで、彼らがだけが地球に残っていたことになりますね。
✨✨そうじゃな、次に毒殺計画の成功で、出雲を包囲した秦混成部隊は、降伏を迫ることになる。出雲王の息子2名のうち、一人は降伏。
だが、もう一人は最後の戦いを強行したのじゃ。
しかし、それも敗北し、地方に落ちのびることになる。
👨💼出雲の王、息子達も追い払った秦混成部隊は、その後140年以上も徳島で、地方の反乱や、怨霊を封じる神社などの建設、国力増強、武力確保などに没頭していたということですか。
✨✨秦混成部隊の疲弊度はすさまじかった。
すでに兵力は5万人を割り、ヤマトゥ国との戦闘に望める力は無かったのじゃ。
一方、出雲に大量の兵士、食料を供給しているヤマトゥ国も疲弊していた、それに追い打ちをかけたのが、魏の滅亡情報なのじゃ。
👨💼ついに曹操の興した大国「魏」も滅亡ですか、でも、後を継いだのは、確か、腹心の司馬一族ですよね。
✨✨腹心ではない、曹操が一番警戒したのが司馬じゃ。
司馬一族とはユダヤ十支族系末裔のことじゃぞ。
👨💼ええっ、ということは秦混成部隊には強力なバックアップ情報ですよね。
✨✨ヤマトゥ国が所有しない鉄剣が、このころ大量に秦混成部隊にもたらされた。
これはペルシャ系のさらなる日本渡来により実現したことじゃ。
これにより秦混成部隊とヤマトゥ国との武力パランスは崩れ、力の差は歴然となっていく。
それに追い打ちをかけたのが同族、司馬の晋皇帝即位じゃ。
それをもってヤマトゥ国に降伏を要求した。
これにはヤマトゥ国も受け入れざるを得なかった。
これが真の「国譲り」と言われるものだが、僅かな降伏条件で、ヤマトゥ国を秦混成部隊に引き渡すことになった。
これにより、秦混成部隊はヤマトゥ国を支配することになる。