✨✨イルミナティに挑戦している国家は無いのかな。 

👨‍💼それがイランを筆頭にするイスラム国家でしょうね。その最強イランも、アメリカのICBMで破壊される運命ですから、もう地球には、それに対抗出来る力や国家は存在しないのかも知れません。イラクは既に破壊されていますし。 

✨✨まだ一厘の望みはあるのじゃぞ。 

👨‍💼イルミナティによって完全に支配されている現状ですが、まだ脱却する望みが残っているのですか。
一厘って1%ですよね、僅かですが希望があるのですか。
では、その一厘の光明って何なのでしょうか。 シュメール文明を造ったのは誰だったかな。 龍族エイリアンと、そのハイブリッドの青森海洋族、今で言うアイヌ、沖縄の祖先の人達です。 その青森ハイブレッド達は次にどこに向かったのかな。 

👨‍💼エジプトです。そこで、新たに地球にやって来た蛇族エイリアンと協力して文明を造り出したのですよね。そこまではお伺いしています。 
l出エジプト記というのを知っているかな。 はい、エジプトに別のエイリアンが舞い降りてから、エジプトのファラオとの仲が悪くなり、彼らは追い出された、それが聖書で言うユダヤ人達ですよね。それを引率したのがモーゼです。 失われた十支族を知っているかな。 日ユ同祖論関係の本は沢山読んでいますから。その人達の一部がシルクロードを経由したり海路、日本にもやってきたのです。相撲の伝達ルートのことは既にお伺いしていますよ。 日本に最初に集団で上陸したエリート達は誰だったのかな。 それが最大の謎なんですよ。それって誰なのですか。 秦の始皇帝は知っているかな。彼が求めたのはなんじゃな。 それは不老不死の秘薬と言われています。 彼がそれほど愚かと思うのかな。そうではない、彼が求めたのはDNAの不老不死じゃ。 ええっ、DNAの不老不死ですか。意味が分かりません。 彼は徐福に命じて秦(しん)一族から血統の正しい者達を選ばせたのじゃ。そして「純血」を守るため、その者達を日本に移住させたのじゃ。 何の「純血」つまりDNAを守るためだったのですか。 龍族の「純血統」じゃ。 そうしますと、秦の始皇帝は青森海洋族と龍族とのハイブリッド、シューメール、エジプト、カナン、インド、モンゴルと移動する子孫達のなかで「純粋な血統」を持った人だったのですか。それに従った人達も純血の技術集団というわけですよね。なるほど、彼らが秦の始皇帝にクロムメッキの技術を提供していたわけですか。日本に渡来した徐福ですが、その足跡としては、2012年6月、三重県熊野市波田須から2200年前の秦硬貨である半両銭が発掘されています。 そうじゃ、出港したのは3500名の純血統のエリート達じゃ。85隻に分乗して日本を目指した。一部は佐賀、鹿児島県、宮崎、丹後、四国、和歌山、能登、駿河に、本隊は三重に上陸した。各船には各々指揮官がおり、その地で文化、技術、信仰、交易、医薬、天文、稲作、鋳造技術などを広めていったのじゃ。当時の日本の総人口はようやく20万人になっておった。じゃが集落としては100人~500人程度のものじゃ、そこに財宝と新技術を持った超エリート達が来たのじゃから、当然の成り行きとして集落での長(おさ)的役割と、精神的な指導者となっていった。同行していた子供達はすぐに言葉を覚え、技術者達のサポートとして多いに活躍、かつ自然と技術の伝承にもなった。この里帰りともいうべき純血エリート達が、2200年後である現在の日本精神、国体に深く関わっていくことになるのじゃ。 秦の始皇帝が徐福に、多くの子供を同行するよう命じたのは何故でしょうか。 それも純血を守ることじゃ。同行した1200名の子供達は、やがて日本の地で成長、結婚し、純血を守るための叡智でもあったのじゃ。 それって現在の日本でも一部で守られていますよ。 ほぅ、どういったことかな。 パイロット時代、九州の屋久島というところに何度も飛行していたのですが、そこのホテルに勤務していた美しい女性に惚れ、交際を申し込んだことがあるのです。丸い屋久島の北にある集落、永田村の娘だったのですが、どうしても、交際できない壁がありました。一族同士しか結婚できない掟、制度を守っていたのです。屋久島の98%の人達は「あの永田は部落だから近づいてはいけない」と私に説明し、彼らを差別していました。しかし、彼女の顔立ちには、気品があり、島民の話と、彼女の容姿とのギャップを不思議に感じていました。交際できなかった理由ですが、永田村に住む人々は、平家の落ち武者の子孫達で、平家の落ち武者という血統を守り続けていたのです。それを知って私は驚き、諦めざるを得なかったのです。つまり「よそ者には絶対に嫁がせない」っていうことです。 真剣に結婚を前提とし、お前が交際を申し込んだ時、そこで始めて知らされた秘密、ということじゃな。そのような掟、制度は現在の日本、いや、世界でも密かに守られているものじゃ。それにより血統、つまりDNA、ミトコンドリアDNAの遺伝子情報が守られて行くことになるのじゃ。これは十支族とて同じように守ってきた「掟」でもある。 なるほど、だから徐福は1200名の子供、純血統の男女を選び抜いたのですか。では、守り抜く血統に関してですが、そうしますと、秦の始皇帝自身は十支族末裔か、シュメール末裔つまりペルシャ系末裔のどちらだったのですか。 シュメールの末裔じゃ。もう一度シュメール文明の特徴を思い出せば解るはずじゃ。 はい、前に調べたシュメール文明の特徴を再度申し上げます。 「シュメール文明最大の特徴は世界最古の暦です。彼らの用いた暦は、日食、月食のタイミングを始め、様々な惑星の事細かな動きまで詳細に予想していたのです。さらに、信じられないことには、2万5920年かかって地球の地軸が円を描くという歳差運動の周期すら知っていたのです。さらに高度な医学、法体系、慣習などがあり、彼らは、スズと銅から青銅をつくるという合金技術、医学では白内障での水晶体の混濁部分を除去する方法、その手術方法も知っていた。また、法体系は画期的なもので、労働者、失業者を保護する法律などがあり、裁判ではすでに陪審員制度がとられていたのです。議会の二院制も現代の法体系に生かされているのです。美術、建築、宗教は言うに及ばず、社会機構、日常の細かな慣習から楔形文字の発明に至るまで、すべてシュメール人が始まりです。それ以外に世界最初と言われる船、車輪つき戦車もシュメール人によって造られています。シュメール人の都市は、神聖国家と言うべき社会で、その中心にはジッグラトと呼ばれる巨大な建造物が建てられていたのです。高度な天文知識に加えて、高度な彼らシュメール人の文明が、何を手本にし、また何に影響を受けたのかは一切不明です。シュメール文明とは紀元前5000年頃に突如、暦、高度数学、複雑な社会機構、合金技術を持って、いきなり歴史に登場して来たのです」 秦の始皇帝は、この知識、技術、文化を継承していたのですね。秦の始皇帝の法制度による統治がシュメールの制度伝来のものだったとは驚きです。なるほど兵馬俑からクロムメッキされた剣が発見されたのも納得出来ました。しかし、そんな技術も劉邦の時代に、まったく継承されていない理由は、やはり血統を守るシステムが働いていた、ということでしょうね。 そうじゃ、同じ血統により秘技、秘伝として伝えられるものなのじゃ。 紀元前250年頃の日本の人口は20万人程度ですが、秦の始皇帝はどうして100万人もの部隊を持てたのでしょうね。 当時の中国大陸人口は300万人じゃ。しかし、征服した東南アジアなどの軍隊を含めての数でしかない。秦の始皇帝の近衛兵は8000名、それが99万人を統括していたのじゃが、近衛兵の指揮官約500名が同じ純血統のものじゃ。十支族の末裔達は主に参謀、文化、技術、教育、信仰を担っていたのじゃ。 100万の軍隊を、僅か500名の純血統のエリート達が指揮、監督していたのですか。兵馬俑付近から発掘される遺骨に、ギリシャ人DNAが多く発見されているのですが、ギリシャ人ではなくシュメール人というのが正しいと言うことですね。秦の始皇帝軍100万の内、99万人が現地人と東南アジア人ということですか。有名な秦の始皇帝の馬車がシュメールからのもので、戦車の役割もあった、ということですね。 もっと大切な事がある、秦の始皇帝から遡ること300年、シュメール末裔、十支族末裔達はインドから現在の楼蘭(ろうらん)、敦煌(とんこう)に達していた。特にシュメール思想は「ディオゲネス」のような瞑想家に受け継がれ「無」「空」という概念がインドにもたらされた。ここに現在のお前達に、偉大な影響を与える文化が生まれたのじゃ。シュメール思想とインド思想が融合し「禅」が確立するのじゃ。その教義は釈迦にも受け継がれ「仏」という概念も生まれることになる。さらにシュメール思想から孔子、老子、「空」の思想から孫子が兵法に応用し、2500年後のお前達に伝えられることになったのじゃ。 では仏教も禅もルーツはシュメール文明ということですね。 宗教のルーツはすべてシュメールが源じゃ。調べてごらん。 調べてみました。一応、学術的には現在の理解は次のようです。 「紀元前3500年頃、チグリス川とユーフラテス川の二つの大河にはさまれた土地で栄えた古代文明をメソポタミア文明という。人類史上初めての文明、そして宗教というものを生み出した揺り籠の地域である。哲学が最初の思想として広まり、そこから『無』『空』という概念を生み出した。また天文学、宇宙知識が加わり、粘土板に膨大な記録、神話が刻まれていった。その粘土板をシュメールタブレットと言う。この粘土板に知識、教義、哲学は口伝でも伝えられ、徐々に聖書としてまとめ上げたのが古代イスラエルである。一方、その概念は、紀元前2000年頃にはインドの原始宗教と混ざり合い、サンスクリット原典、つまり仏教が芽生えた。紀元前6世紀末には、ペルシャのダリウス王の西アジア支配、ゾロアスター教の迫害によって仏教の一部はインドに定着し、今日信じられているインド仏教の基礎が完成した。やがて紀元前5世紀頃、シャーキャ族王・シュッドーダナの男子として、現在のネパール、ルンビニにあたる場所で誕生した釈迦により仏教は確立した。釈迦入滅、つまり死亡から約1000年後、玄奘三蔵が629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って、645年に経典657部や仏像等を持って唐に帰還した。その経典の中に密教も含まれており、804年入唐した空海は、青龍寺で恵果から学んだ密教を日本に持ち帰った。仏教自体は500年代に日本に伝わるが、玄奘が膨大な経典を唐に持ち帰り翻訳、最澄らがそれらを大量に日本に伝えたのが800年代である」 よく調べたのぅ。それで宗教とは何かな。 宗教の源はすべて同じですね。旧約聖書はシュメール神話の内容に少し手を加えただけのものですし、瞑想、禅の思想、仏教もシュメールが起源とは、なんと偉大な文明がメソポタミアの地に誕生したものでしょう。やはり龍族の知識、青森ハイブリッド達の援助も大きかったのでしょうね。 ここから宗教は二つのタイプに別れていったのじゃ。お前は宗教をどのように考えるのかな。 現在、宗教と言われるものを大別しますと2種類に分けられます。一つ目は「教示タイプ」、二つ目が「悟りタイプ」です。「教示タイプ」とは十戒やコーランに代表されるもので、○○してはいけません、△△すべきです、といったタイプで、学校の授業や法律、法令のようなものです。二つ目の「悟りタイプ」は瞑想、ヨガ、禅などを言い、修行者が自らの努力で「悟る」必要があるスポーツ能力のようなもの、と言えるでしょう。 教示タイプとはなんじゃな。 「教示タイプ」の代表はイスラム教で、 イスラム教徒は絶対に豚肉を口にしてはいけない。飲酒もダメ、女性は夫と父親以外には手首および足首から奥は見せてはいけない、など規制は着物、飲食、売買、契約、習慣、結婚、離婚にまで及んでいるのです。イスラム教を代表とする「教示タイプ」の一番の特徴は他の宗教を信ずる者を排他、排除するという教えにあるでしょう。仏教でも「教示タイプ色」が強い宗派ではこの傾向が見られます。たとえば日蓮宗および日蓮系新宗教の特徴ですが、他宗派を誤りであるとして激しく排撃する点です。これは日蓮が「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」(四箇格言)と他宗を攻撃したことに端を発しており、日蓮宗内部の各派や新宗教の間でもお互いに厳しく批判し合う傾向が強いのです。排他的特徴を持つ「教示タイプ」では、当然として他宗教、教徒との争い事、戦争、殺戮(さつりく)、処刑なども容認されてきます。排他的要素は少ないものの、浄土宗、浄土真宗などは「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽浄土に行けるというのも日本では普及しています。 では悟りタイプとはなんじゃ。 日本での「悟りタイプ」の代表として曹洞宗、臨済宗などの「禅」があります。「瞑想」に関しては、 

に伝わり、南インド出身の達磨が中国に入り、禅思想を伝えました。その後日本にも伝えられ、鎌倉時代以後、武士や庶民などを中心に広まり、各地に禅寺が建てられる早く  はようになったのです。この「禅」は日本文化全体に大きな影響を与えました。明治以降「道」と名のつくものには、禅の影響を強く受けているものが少なくありません。茶道、書道、剣道、弓道などです。これらに共通しているのは、謙虚に自分を抑えて一つのことに専念し、一事を極めて高い境地に達する、ということを良しとしている点ですので、当然、争い事などとは正反対のタイプと言えます。 瞑想は悟りタイプかな。西洋で「メディテーション」と言われるものは、東洋の瞑想や禅が西洋に伝わり、逆輸入されたものです。世界の宗教の信者数は、キリスト教約20億人(33・3%)、イスラム教約12億人(19・6%)、ヒンドゥー教約8億人(13・4%)、仏教約3・5億人(5・9%)、ユダヤ教約1400万人(0・2%)、その他となっています。一般に、キリスト教、イスラム教、仏教は世界三大宗教と呼ばれ、人種や民族、文化圏の枠を超え広範な人々に広まっており、特定の地域や民族にのみ信仰される宗教は民族宗教と呼ばれ、ユダヤ教や神道、ヒンドゥー教などがこれに分類されます。宗教は、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念、また、 その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団とされています。 信仰とはなんじゃな。 「信仰」とは、神仏などを信じ崇めること。経験や知識を超えた存在を信頼し、自己をゆだねる自覚的な態度、となります。死者の埋葬に見られる古代の習慣は宗教ではなく、人間として死者を哀悼する感情と経験から学んだ知恵によるもので、当時の人間は「存在しない観念」を追い求めるほど余裕を持っていなかったと思われます。生きるのに必死な人間は霊魂や精霊等の超自然的なものの存在を信ずる余裕もなかったでしょうし、自然そのものの人格化、自然そのものの力に対しての畏怖が原始宗教の始まりだと考えられます。 なぜ現在、宗教の分裂が生じているのかな。 「十戒」の出現から宗教は一変し「教義タイプ」の宗教が台頭、その後3000年以上もキリスト教やイスラム教が世界の主流宗教となっています。特にキリスト教カトリック系ではバチカンの存在は巨大です。ここは歴代のローマ教皇の在所として全世界のカトリック教会の頂点に立ち、中世以来、イタリア半島中央部を横断する形で「教皇領」と呼ばれる領国を形成していましたが19世紀のイタリア統一戦争によって半島が「イタリア王国」として統一されると教皇領は消滅。その後、1929年にラテラノ条約が結ばれ、主権国家として独立した国家となっているほどです。  カトリック教の考え方は、教会自体が救いを仲介するものと考え、キリスト12弟子の中のペテロに、教会を建てる権威を与えています。ペテロの後継者のローマ教皇が唯一の権威を受け経いで来ていると考え、ローマ法王が最高権成者となっています。ローマ法王とは全ての誤りから免れ守られている者であり、法王への忠誠は救いの絶対条件です。つまりカトリック教会の聖職者のみが祭司の権威を持ち、神の恵みを与え、罪を許す権威を授けられているという考え方と言えます。加えて、カトリック教は聖礼典の宗教です。神父が、秘跡、洗礼、堅信、聖体、婚姻等の権限を持っており、ミサでは、聖体パンとワインがキリストの肉と血の代用として、受ける者に罪の赦しを与える権限もあります。一方、プロテスタントはカトリック教のように、ローマ法王、教会、礼典、マリアなどではなく、信仰のみが救いだ、とするもので、プロテスタントの人たちは、神への賛美、祈り、聖書朗読、聖書説教、つまり聖書の言葉を聞くことが礼拝の多くの時間を占め、それを指導するのが牧師と言われる人達です。  イスラム教では「信仰告白」「礼拝」「断食」「喜捨」「巡礼」を大切にする宗教です。イスラム教では、預言者ムハンマドの後継者をどう選ぶかで、3つに分裂しました。スンニ派は、ムハンマドの作り上げたイスラム共同体の最有力者を長とし、ムハンマドの作った共同体を守り発展させるべきだと考え、シーア派は、ムハンマドの血縁者・子孫が代々イスラム共同体の指導者となるべきだと考えました。ハワーリジュ派は、ムハンマドの意思を最も強く引き継ぐ者が指導者になるべきだと考えて、結局3つに分裂となります。  日本の仏教もこれと同じように多数に分裂しています。法曹宗、律宗、華厳宗、真言宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗(おうばくしゅう)などです。 なるほどじゃな。 青森の海洋民族から、龍族ハイブリッドが生まれたのですが、シュメールでも龍族とのハイブリッドは誕生したのでしょうか。どうして血統、DNAを守ることが大切なのでしょうか。 もちろんハイブリッドは誕生した。純血統を守る、ということは日本人口が1億を超えたお前達には理解出来ないことじゃ、世界の人口も70億という雑多な血統で埋め尽くされておる。いいかな、青森文明が出来た時代の日本人口は15万人、地球全体でも700万人の人間しかいなかった。その時代に青森では2000名の人達の中に、龍族エイリアンとのハイブリッド人種が誕生した。その血統を飛騨地方に移動した人達が守り、子孫を増やしていったのじゃ。その血統がシュメールに引き継がれ、現地ハイブリッド達と徐々に混血していくが、このシュメールの地で「血統を守る」という思想も確立されていった。お前が屋久島で驚いたように、血統は秘かに守られておるのじゃ。あとで話すことになるが「平家」とは、正に、今話しておるシュメール、ペルシャ系末裔(まつえい)のことじゃぞ。 1万6千年前の青森ハイブリッド末裔達は飛騨高山地方に移動、そこで集結した技術集団の一部を龍族はシュメールに移動させたのですよね。紀元前250年頃、つまり飛騨高山文明から約4500年後に「純血統」が再度、徐福船団という形で日本に帰ってきた、それも最新技術を持ったエリートとなって日本に戻ってきた、となりますね。 そうじゃ、だが重力制御装置などのエイリアン技術はもちろん持っていない。彼らが最初にしたことは各地で集落を造ることじゃ。 2013年8月、滋賀県高島市の上御殿遺跡で、銅剣の鋳型が出土したことが話題となりました。その銅剣を復元すると、春秋戦国時代の遊牧民族の短剣と似ており、日本では出土例のない珍しいデザインだったのです。これも徐福一行が持ってきたのでしょうか。 そうじゃ、銅剣の鋳型を造り大量の剣も製造したのじゃ。同時にあらゆる技術、たとえば建築物なども、純粋に聖書とユダヤ形式に沿ったものを日本で再現していくのじゃ。その為に純血を選び出し、真のシュメール文化、古代イスラエル文化再現の地として、故郷の日本に戻ってきたのじゃ。春秋戦国時代の「越王の剣」を知っているかな。 兵法で有名な孫子が軍師を勤めていた「呉」と戦った越国の王、勾践の剣ですよね。調べてみますと1965年の冬、湖北省で出土したのが越王の剣ですが、出土した時も、ピカピカの状態だったということです。現代科学では理解できない「剣」らしいですね。 なぜ理解できないのか、もう少し詳しく調べて話してごらん。 1965年出土した剣ですが、剣を覆う菱形模様に硫黄が検出されたのです。そこで。紀元前500年頃には錆びを防止するために硫化処理技術、それも超高度な技術があった、ということで一応、その問題は処理されたのです。ところが2000年代にもう一度調べてみたのですが、硫化処理しているとは言っても、硫黄の含有量はわずか0・5%程度で、しかも剣身部分では硫黄が検出されない事が判明したのです。 ほぅ。続けてごらん。 化学分析を依頼した考古学者達は驚き、一つの仮説を立てたのです。この剣は古代人が錆び防止に硫化処理をしたのではなく、埋葬した死体や、絹、供物などと言ったものが腐敗したときに自然発生した硫化物が付着しただけではないのか、という仮説です。ところが反論が出ます。その仮説ですと、硫黄が付着していない部分では錆びていなければならない。しかし剣全体がまったく錆びていないということは、他に原因があるはずだ、と議論になりました。そこで折衷案として考えた結果は、埋葬されたところが地下数メートルと深く、空気が入れ替わることが、ほとんど無かった、という結論に達したのです。 その結論で幕となったのじゃな。 現在、浙江省博物館に国家一級文物として、環境を保って展示しているのですが、不思議なことに出土した時には綺麗だったのですが、博物館で管理するようになると「くもり」が出てきたのです。博物館の保存状態の方が2500年前の越王勾践の墓よりも、剣の保存に関しては劣悪な環境のように判断せざるを得ないのです。紀元前465年に越王が死亡、そして楚となり、紀元前259年に、秦の始皇帝の時代となります。その兵馬俑付近で発見された剣も、錆びていなく、調査の結果、クロムメッキと解ったのですが、越王の剣は未だ原因不明のままです。 秦の始皇帝の身体の特徴を知っているかな。 身長も高く、目の色は青く、彫りの深い顔、まさに西洋人に近かったと伝わっています。 秦の始皇帝は現在のカザフスタン、「弓月国」出身なのじゃ、つまりシュメール、ペルシャ系末裔の一人だった。しかし、越は違う、越は青森海洋民族が直接興した国なのじゃ。