「瀬織津姫」という、天照大神と肩を並べる超古代の神が再び私たちの前に立とうとしています。

なぜ「瀬織津姫」が歴史から完全に消されて、長い間、封印されていたのでしょうか・・・

その謎を解くことができた人は、日本の未来、世界の未来、神々の経綸が分かるようになるはずです。

この静かな「瀬織津姫」ブームは、人間ではなく天啓によってもたらされたのです。


(この記事は、特集号2019/5/16【vol.06】の一部です。全文はメルマガでお読みください)

神社とは高次元の神々とつながっている場所

新元号「令和」に切り替わってから約2週間が経ちました。
人々は新元号の暗示的意味を解こうと、今も多くの考察がネットに上げられています。

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・・・「令和」の<令>とは、本来は「レイ」ではなく「リョウ」と読むべきです。

したがって、「人々が<道>を見失うことなく自由に意見を出し合って、神道の<根源的存在>から導き出される<令(リョウ>にまで高めて初めて神代の時代が訪れる」という意味になります。

<令(リョウ)>は、「命令」の「レイ」ではなく、国民自ら本来の<道>に立ち戻り、お上から「命令」されるのではなく、誰もが納得する戒律に高めなければならない、という意味が含まれているのです。

そのためには、1万年以上も争い事を起こさなかった縄文人の「霊性」を取り戻さなければならない、と教えているのです。

しかし、元号には常に裏の意味があります。

<中間省略>

・・・どの神社にも、最後の大鳥居をくぐって拝殿や本殿に向かうと、左右一対の狛犬が出迎えてくれます。(希に狛犬のない神社もある)

狛犬・・・少なくとも、ほとんどの日本人は、そう思い込んでいます。

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(「能登國一之宮 氣多大社」の獅子と狛犬 2019.5.6)

実は、神社の拝殿を正面に見て、右側にあるのが「獅子」で、左側にあるのが「狛犬」です。

「獅子」は、口を大きく開けて「アッ!」と言っています。
いっぽうの「狛犬」は、歯ぎしりするかのように口を結んで「ぅん!」と言っています。

・・・「獅子」の「あっ!」は宇宙の始まりを表しています。
「狛犬」の「ぅん!」は宇宙の終わりを表しています。

この両方で「阿吽(あうん)」と言います。

つまり、サンスクリット語で「宇宙の始まりと終わり」を意味する言葉・・・「阿吽」を何度も繰り返しながら宇宙が高次元化していくことを示唆しているのです。

これを世界最大の秘密結社は「弁証法のスパイラル」に置き換えていますが、まったくの嘘・偽りです。

とにかく、神社とは、「宇宙のはじまりと終わり」を表しており、「神気」によって人々が真理を感得し、真理を悟る場でもあるのです。

「阿吽(アウン)」の真ん中の「う」は、「ん」の手前です。

「梅=う・め」は「うの目」であり、「ん」の手前の「う」です。

また、余談ですが、「アーメン」の「ア」も同じ意味で、「神を迎え入れる」という意味を持った接頭語であり、「メ・ン」とは神道における「すべてを水に流す」という意味で、これもまた世界のリセットを示唆する「ン」の前のミソギを表しているのです。

このことから「令和」のもう一つの暗示は、「我々の宇宙が終る一歩手前」の時代に差し掛かっているのだから、「霊性」を取り戻して世俗的な私利私欲・私憤を捨て、神人合一という本来の人の魂に与えられた役目を自覚して「和」を目指せ、という意味になります。

<後半省略>

天照大神の「令和」と瀬織津姫の「令和」

この「梅=う・め」=「うの目」が暗示する、もうひとつの「令和」の意味は非常に荒っぽいのです。
それは「大ミソギ」であり、有史以来の地球規模の立替えです。

それを司る神が「瀬織津姫」と呼ばれている太古の神です。

これほどの大役を担っている神だというのに、「瀬織津姫」の名前は記紀には出てきません。

しかし、いわゆる「カムロギ(神漏岐) カムロミ(神漏岐)」で始まる神道の大祓詞(おおはらえことば)の中には「瀬織津比売(せおりつひめ)と伝ふ神」という表現で出てきます。

「瀬織津比売(せつおりひめ)」は、全国3000社もある白山信仰の総本宮である白山比咩(しろやまひめ)神社の祭神である「菊理媛(くくりひめ)尊(=白山比咩大神)」として日本書紀に登場します。

この菊理媛は瀬織津比売と同一の女神とされています。

つまり、「瀬織津姫」は、その正体を隠すかのように、さまざまな名前を付けられて現代でも尊崇の対象となっており、日本中の人々に敬愛されているのです。

にもかかわらず、「比売(ひめ)」、あるいは「比咩(ひめ)」と名付けられて、東北から九州まで、少なくとも数千社の神社で祀られている女神の正体を人々は知りません。

もっとも、超古代には文字は存在していなかったので、「瀬織津姫」にどんな漢字を当てようが、さしたる意味を持ちません。
あるのは音(おと)とバイブレーションだけです。

強いて言うなら、バイブレーションとはカタカナが持っている振動(音)ということができます。

結論から言えば、「瀬織津姫」とは天照大神の荒魂(あらみたま)のことです。

超古代の神道では、宇宙を司る高次元の神霊は荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)の二つの分け魂で一つとされており、天照大神は和魂、「瀬織津姫」は荒魂として一柱の神の別の側面を表していることになるのです。

天照大神の和魂の側面で解釈すれば「令和」は、文字どおり「和を持って貴しとなす」となり、「瀬織津姫」の荒魂の側面で解釈すれば、「令和」とは荒々しい天変地異・人心の荒廃・宇宙の激変を示すことになるのです。

しかし、両方とも同じ意味なのです。

ちなみに、神道の大祓詞の冒頭部分に出てくる「カムロギ(神漏岐)  カムロミ(神漏美)」とは、宇宙を構成する2原素のことであり、それは「火の気」と「水の気」です。

それを「命(みこと)」として半ば擬人化して表しているのです。

スワスチカの卍、あるいは十文字は、この「火」と「水」の交差を表しており、そのときに「火の気」と「水の気」が「大ミソギ」を引き起こすことをシンボリズムにしたものです。

<中間省略>

・・・伊勢神宮は、この天照大神(天照坐皇大御神)の和魂と「瀬織津姫」の荒魂を政治的に一神に統合しようと機能しているのですが、いくら古事記、日本書紀から完全に抹消しようとしても、大祓詞(おおはらえことば)の中に
「瀬織津姫」が存在している以上、完全に消し去ることはできないのです。

伊勢神宮・内宮(ないくう: 皇大神宮)のいちばん奥にある天照大神の和魂を祀る正宮(しょうぐう:正殿)の真後ろには、天照大神の荒魂である「天照坐皇大御神荒魂」を祀る荒祭宮(あらまつりみや)があります。

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(伊勢神宮・内宮の荒祭宮 2016.10.15)

正殿に向かって二礼二拍手一礼して感謝の祈りを捧げることは、その裏手にある荒祭宮に祀られている瀬織津姫に祈りを捧げていることになるのです。

この「天照坐皇大御神荒魂」こそが、「瀬織津姫」のことです。

しかし、荒祭宮の参拝者は、この秘密を知らないでしょう。

また、伊勢神宮・内宮から直線距離で南西方向に約30kmほどいった奥伊勢の地には、「瀧原宮(たきはらのみや)」という伊勢神宮内宮の別宮があり、ここの祭神もまた、「天照坐皇大御神御魂」とされています。

つまり、天照の荒ぶる魂である「荒魂」の正体こそが「瀬織津姫」なのです。