極秘伝の公開は神仕組みだった!?

 竹内氏がその日、2時間にわたり筆者に語った『正統竹内文書』の世界は、驚くべきものだった。
 世界を見舞った大洪水の後、最初に文明が開けたのは日本であったこと、天皇は日本から古代メソポタミアに渡った「スメル族(シュメール人)」の子孫で、いくつかのグループに分かれて日本に帰ってきたこと、そのうちふたつのグループが出雲族と大和族になったことなどを次々と明かしてくれた。
 真偽のほどはわからなかったが、筆者はインタビューしたそのままを、同年12月に上梓した『竹内文書の謎を解く』(成甲書房刊)に掲載したところ、かなりの反響があった。ただ、その後も竹内氏に何度か取材したが、肝心要の話になると口を濁し、政治信条も主義主張もまったく筆者とは異なっていたため、取材を続けることを断念、距離を置くことにした。


竹内氏が祭主を務める皇祖之霊皇大神宮(するめのみおやのみたますめおおかむのみや)。そのルーツは、神武天皇の時代にまで遡ることができる。
 ところが2011年1月のある日、筆者に奇妙な出来事が起きた。「武内宿禰の霊団」と見られる存在から、いきなりメッセージが降りてきたのだ。
「竹内睦泰に会いにいきなさい。お前は竹内とは主義主張が合わないし、まったく別の道を行くものだと考えているかもしれないが、私たちから見れば、お前たちの相違点はコーヒーが好きか、紅茶が好きかの違いにすぎない。それだけの違いのために会わないのはおかしい。とにかく会ってみろ。そうすればわかる」
 そう、声の主はいった。
 不思議なことに、「コーヒー党か紅茶党の違いにしか見えない」という言葉に筆者はすっかり感心して、あっさりと説得されてしまった。早速、6〜7年ぶりに竹内氏に連絡を取ったところ、すぐに新宿・早稲田のリーガロイヤル東京で会うことが決まった。
 再会して驚いたのは、以前取材したときの印象と違って、非常に打ち解けて取材を楽しんでくれているように感じられたことであった。竹内氏が話す内容も面白く、非常に示唆に富んでいた。「声の主」が示唆したとおりに意気投合した竹内氏と筆者は、その後数か月にわたって取材会合を重ねた。
 その際、筆者にとって非常に都合のいい現象も起きた。
 筆者は東京へは隣県の神奈川から2時間くらいかけて取材に出向くのだが、竹内氏の取材が終わった後、本誌読者にとってはお馴染みの国際気能法研究所代表の秋山眞人氏に電話すると、普段は忙しくてなかなか会えない秋山氏が「今なら空いていますよ」と必ずといっていいほど取材に応じてくれたのだ。はるばる2時間かけて都心に取材に来る私にとって、一度にふたりに取材できることはとてもありがたかった。

鼎談記念日にUFOが出現!



 こうしておふたりへの取材を続けるうちにできあがったのが、2011年8月に上梓した『誰も知らない世界の御親国日本』(ヒカルランド刊)と、同年12月17日という、奇しくも竹内氏の誕生日に発売となった『竹内文書の謎を解く2――古代日本の王たちの秘密』(成甲書房刊)であった。
 流れはそのまま、竹内、秋山両氏と筆者による鼎談(3人が向かい合って話すこと)の本を出そうという話になり、約1週間後の12月26日に当時新宿にあった秋山氏の事務所に、まったく主義主張の異なる3人が集まって話をするという異色の鼎談が始まった。
 どうなるかわからない企画であったが、鼎談はすこぶる面白く、次から次へと想像を絶するスリリングな別世界や異次元の話が繰り広げられた。早速、筆者が鼎談を起こした原稿を出版社に持ちこんだところ、出版にゴーサインが出てシリーズ化も決定。翌2012年4月、8月、12月に『正統竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド』のシリーズ3巻がヒカルランドから出版されたのである。


竹内氏、秋山眞人氏、筆者による鼎談の様子が収められた『正統竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド』シリーズ第1巻。別世界に関するスリリングな会話が収められている(ヒカルランド刊)。
 このように順調に本が出せるということは、人知を超えた神霊界や宇宙からの働きかけが背景にあることが多い。先述した霊団からのメッセージもそのひとつの例証だが、実際に、あり得ないような偶然の出来事が鼎談の前後に頻繁に起きていた。
 鼎談の2〜3年半ほど前、秋山氏に宇宙に存在するまったく異なる3タイプの異星人が和合・協力するというメッセージが降りてきて、その直後に筆者がたまたま秋山氏の事務所に顔を出すという偶然があった。今から思うと、鼎談を髣髴させる出来事が宇宙でもあったことになる。
 竹内氏と秘書が高田馬場で、夕方の空をジグザグに移動するUFOを目撃したのもそのころだ。
 しかし最も宇宙の意志を感じる偶然は、最初の鼎談があったちょうど1年後の2012年12月26日の午前2時23分ごろの出来事だった。竹内氏と秘書ら数人が再び高田馬場で、夜空をジグザグに飛びまわるUFO7機(中央付近の透明なUFOを入れると8機)を目撃したのである。
 鼎談記念日に「UFOを認めない」と公言する竹内氏の目の前にUFOが現れる――これが単なる偶然であるはずがない。
 竹内氏はよく「偶然は神」というが、霊団(神霊)や宇宙からの働きかけが、そうした偶然を演出することもあるのである。

武内宿禰の遺産『帝皇日嗣』と「正統竹内文書」

 UFOからも“祝福”された『正統竹内文書』は、その後どうなったのであろうか