出雲族の大祖先のクナト大神について、出雲族の末裔「富家」伝承と記紀との違い
出雲族の末裔「富家」伝承本によりますと、出雲族は大古、サイノカミ3神(クナト大神・サイ姫・その御子 猿田彦命)を奉祭していたと言われます。

出雲族の大祖先のクナト大神は、この世界が一夜にして氷の山になった時、その難を避けるため、一族を引き連れて移動を始めた。
東の彼方から氷の山を越え、海沿いを歩いた。
そうして何代もかかってようやくたどりついたのが出雲の地であった。今から4000年前のことである。
 

クナト大神はいろいろな知識を持ち、前からこの地に住んでいた人々に、鉄の採り方や布の織り方、農耕の方法などを教えた。
糸は、麻・綿、はたの木から作り、これをクリやシイの実で染めた。
出雲人に戦いの歴史はなかった。人々は生活を良くしてあげることで、自然についてきた。
クナト大神は、王に推された。
 

伝承では、クナト大神は東の彼方から何代もかけて4000年前出雲の地に 辿り着き、人々に農耕等の文化を授け王に推された大神さまのようです。

記紀のほうでは、 日本神話の『神産み』の段において、クナト大神は黄泉から帰還したイザナギが禊をする際、脱ぎ捨てた褌から道俣神(ちまたのかみ)が紀元前3~2世紀頃化生した神となっています。

イザナギの禊によって産まれた神の一人が、道俣神=クナト大神とのことです。

記紀では紀元前3~2世紀頃産まれた神のようですが、伝承では4000年前ようやく出雲に辿り着いています、何代もかけて。

編纂されている記紀より伝承のほうが事実に近いとしますと、クナト大神は相当古くから存在しており、もしかしたら日本神話以前の神かもしれません。

通説では、クナト大神は「外敵の侵入や悪霊を封ずる、さえぎる」神と言われているそうです。

 

「出雲神族」のルーツは出雲ではない!? 出雲族の大先祖「クナト」と「アラハバキ」は抹殺されかかり、別な存在へ変身した
「出雲神族」の末裔で、一子相伝の「口伝」により古代の歴史を伝えてきた「富氏」の伝承があるそうです。

 その伝承によりますと、「出雲神族」はなんと...........

 

「東北方面」から出雲に移住してきたそうなのです。

いつの時代のことでしょうか!?💦 クナト大神一族を引き連れて東の彼方から出雲に辿り着いた4000年前でしょうか!?

通説では反対で、出雲族は東北へ移動したことになっています。

天照系の神々に出雲を追われた国つ神(天孫族が来る以前から土着していた神)たちは東北へ移動した。

ヤマト王権によって平定された地域の人々が信仰していた神が国津神に、ヤマト王権の皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる。
 

出雲を追われた「国つ神」=天照系の神々が来る以前から、その土地に長く住み着いていた神=クナト大神。

天照系より古い神さまが「出雲族」なのではないでしょうか!?

 

鎌倉時代の初め頃までは、「大和朝廷が支配する国」と、「出雲王朝の流れを汲む【和】の人たちの国」があり二分していたようです。

【和】とは「出雲の国譲り」のあと、畿内から遠い九州あるいは東北方面に逃れた人々の国で、東北に安住した者は蝦夷(えみし)と呼ばれ、九州に安住した人は隼人(はやと)と呼ばれるようになりました。

 

通説で荒脛巾神社を奉じた蝦夷人達は、一部は出雲族に同化し、大和朝廷に追われた一部は東北へ逃れたと言われます。

大和朝廷と出雲王朝の関係はどうなっていたのでしょうか?

遥か昔、出雲には「和」と呼ばれる国の人々が暮らしていました。
やがて大陸から九州に渡ってきた邪馬台国、つまりヤマト族の集団が北上し、出雲で「和」の人々と敵対関係になりました。
最終的に畿内全域を統一したヤマト族は、出雲王朝である「和」から国を譲られたという神話を広め、大和朝廷を作り上げました。
 

大陸から来た邪馬台国、ヤマト族が出雲の「和」から国を護られた(ということにした)神話を広め大和朝廷を作り上げたということです、敵対関係にあったのですから。

出雲族は東北へ逃れたのか.........!? 大和朝廷の創作の可能性もまったく無いとは言えないかもしれません。

 

 出雲神族の末裔、富氏の口伝には...........

『我々の大祖先は、「クナト(岐神)」の大首長だが、もうひとつの隠された女首長に「アラハバキ(荒吐神)」があり、体制側によってこれらが抹殺されようとしたとき、「クナト」は「地蔵」に、「アラハバキ」は「弁才天」へと変身した。』とあるそうです。

 

「クナト」と「アラハバキ」は男神と女神のペアで、「遮光器土偶」が「アラハバキ」の神さまを象ったものとされ、土偶が「女性」の特徴を強調していることから「女神」と認識されていると言われます。

アイヌの古語では「クナト」は男性「アラハバキ」は女性の生殖器を意味するとされ、本来は一対のものだったそうです。

 

出雲族の大祖先「クナト大神」と一対だった「アラハバキ」は、アイヌの古語「アラハバキカムイ」のことでしょうか!?

カムイというアイヌ語は日本語では「神」や「仏」と訳されますが、アイヌ民族の信仰では、この世のあらゆるものに〈魂〉が宿っていると考えられています。

なかでも、動物や植物など人間に自然の恵みを与えてくれるもの、火や水、生活用具など暮らしに欠かせないもの、天候など人間の力が及ばないものを〈カムイ〉として敬いました。

伝承ではアイヌの神様は黒雲に乗って現れると云われています。

 

アイヌの信仰から考えますと、「アラハバキカムイ」は視えない神聖な存在のようにも思えますが、出雲族の大先祖である女首長の「アラハバキ」と同名の神を信仰しています。

出雲族というのは、先住民アイヌが住んでいた北海道、東北方面に起源をもつ可能性があるのかもしれません。

「遮光器土偶」はアラハバキの女神であり縄文宇宙人なのでしょうか!?


青森県つがる市木造亀ヶ岡出土
日本の神社で最高の地位を占める伊勢神宮の内宮に関して、天照大御神を祀る前からの地主神が「アラハバキ神」ではないかと言われます。

時の権力者により最高神アラハバキの信仰は消されて行きましたが、アラハバキ神を信じ何とか守り残していきたいという民により、本殿や本堂ではなく摂社・末社にひっそりと祀られています。

中には「物置小屋」の様な外見にカモフラージュしてまで、祀っていた民もおられたようです。

そんなにまでして「日本人」に大切に守られた「地主神」を抹殺しようとしたのはナゼなんでしょうね!?

恐らくその土地に降臨した最初の女神さまではないでしょうか!?

時の権力者ら(日本人ではないかもしれません)には煩わしい理由でもあったのでしょうね。