天下をとった人”は必ずといっていいほど特定の神社を信仰している、という話を聞いたことはありませんか?
 
例えば、平清盛は「厳島(いつくしま)神社」を。その平家を倒した源頼朝は、罪人として伊豆にいた頃「箱根神社」と「伊豆山神社」に参拝。
 
足利尊氏は、福岡の「宗像(むなかた)大社」「香椎宮(かしいぐう)」の力を借りました。
 
豊富秀吉は、滋賀の「日吉大社」「竹生島(ちくぶしま)神社」、徳川家康は「日光東照宮」の。
 
今回は、総理大臣として通算在任日数3188日と憲政史上最長を記録した、故安倍晋三氏が信仰した“磐神社(いわじんじゃ)”をご紹介します。
 

 
その前に、今月27日に安倍晋三元首相の国葬がとり行われますが、まずはこれまでのご努力・ご功績に感謝しご冥福をお祈りいたします。
 
個人的には、台湾の李登輝総統と日本の安倍晋三元首相のお二人はアジアを代表する政治家であったと考えております。

 
磐神社を知るきっかけは、「八木龍平著;成功している人は、なぜ神社に行くのか?」という本でした。

科学者であり霊能者でもあるリュウ博士が書かれた、おもしろくてためになる「見えない世界」の授業本です。

リュウ博士によれば、“天下をとった人”は必ずといっていいほど特定の神社を信仰しているといいます。
 
総理大臣・吉田茂氏は「箱根神社」を。佐藤栄作氏は、総理になってから「伊勢神宮」に参拝など。
 
故安倍晋三元首相が信仰したという“磐神社(いわじんじゃ)”はどんな神社なのでしょうか。

ここ磐神社は、岩手県奥州市衣川区平泉駅の北西、直線5Kmの場所にあり、広い田園の中にポツンと杜があります。
 

 
磐神社を訪れた時は9月で、あたり一面稲に稲穂が揺れる田んぼの中、本当にポツンとありました。
 
小さな山門から田んぼの中を一本のびている狭い砂利道が、どうやら参道代わりのようです。

軽トラ1台がやっと通れる道幅です。

境内とは言い難い狭いスペースに素朴なお顔の狛犬さんが「ん?あんた誰?」とでもいうかのように、こちらを見つめています。
 

 
拝殿裏には磐神社のご神体(東西10.2m、南北8.8m、高さ4.2m)の自然石がデン!とあります。
 

 
そして磐神社の由緒看板には、

 
「安倍氏は当社を守護神(荒覇吐神・あらはばきしん)として尊崇した。近くには安倍館跡があり、安倍氏は当社を「荒覇吐神(アラハバキ)」として祀ったらしい。
磐井以南に威を振るう拠点をこの地に形成したと伝えられる。」と書かれていました。
 

 
時の中央政府に滅ぼされた蝦夷の人々→安倍氏→巨岩の御神体→アラハバキ神→瀬織津姫命、と隠された一本の歴史線が見えてきます。
 
このブログの「最初の瀬織津姫神社だった丹内山神社」でご紹介した“丹内山神社”も、磐神社と同じ“アラハバキ神”が御祭神であり、ご神体も巨大な自然石であることなど共通しています。
 
故安倍晋三元首相の本籍地は山口県で下が、ご自分の先祖は東北の俘囚(ふしゅう)長・安倍氏だと信じていたといいます。
 
確か選挙応援で来県した際、地元紙の取材にもそのように答えていたと記憶しています。
 
総理大臣としての通算在任日数が3188日と、憲政史上最長を記録した故安倍晋三元首相。
 
多忙な安倍晋三元首相の代わりに、名代で実弟の岸信夫氏が参拝に訪れていたとも言われていますが、この磐神社への厚い信仰心が、その原動力となったのではないでしょうか。

※“俘囚”とは、中央政府に制圧された従った蝦夷の人々をさし、安倍一族はその長でしたが前九年の役で滅ぼされてしまいます。