私がかかった難病「ギランバレー症候群」③退院後とまとめ | 50代から自分らしく生きる❤算命学のススメ Salon de Rico

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今回で、最終回です。

 

2008年に、私がかかった難病「ギランバレー症候群」の記録です。

今は元気です!

 

 

これまでの記録です。

 

右 私がかかった難病「ギランバレー症候群」 ①発病編

右 私がかかった難病「ギランバレー症候群」 ②入院編

 

 

入院中は割れるような頭痛が続き

吐き気のため食べることが苦痛でした。

 

栄養を取らないと点滴になるのが

嫌で無理やりに、、、。

食べることが辛いなんて!

 

健康であることの大切さを

思い知りました。

 

 

 

 

主治医が図に書いて説明してくれました。

当時のノートより

 

 

私の場合は

 

手足の力は入るのに目が動かなくなる(外眼筋麻痺)

ふらついて歩けなくなる(運動失調)

といった症状が出るギランバレーでも特殊なタイプの

「フィッシャー症候群」の可能性が高いとのことでした。

 

症状の進行は急速で、通常4週間前後でピークに達し、以後回復傾向になり6~12ヶ月前後で症状が落ち着いて安定した状態すること。

 

しかし、重症例では回復までに長期間を要すること

何らかの障害を残す方が約2割いて、約5%の方は亡くなること

 

 

 

 

ああ、よかった

 

と思いました

 

ピークを過ぎれば改善する

 

この苦しみはそれほど続かないんだと

この先は死じゃない

生きていられる

 

よかった

本当によかった

 

 

 

 

 

 

ピークが過ぎ

歩けるようになったので

退院許可がおりました。

 

 

  • 眼科
  • 神経内科
  • 頭痛外来
  • 循環器内科

 

4科を受診する必要がありましたが、毎日通院することを約束し退院しました。

複視はいつ直るかはわかりません。

原因不明の難病ですから。

 

 

 

早く家に帰って娘のそばにいたかった。

 

 

 

毎朝目が覚めると、目に入るのは天井に取り付けられた歪んた照明。

1つのはずなのに2つに見えるのは眼球が正常に動いていないから。

 

その照明をぼんやり見ながら

「やっぱり左眼が動かない」

 

 

 

がっかりしながら眼帯をして

家事をして通院し

様々な検査をする日が約一年続きました。

ひどい顔してますね、、、、。

 

 

家の中でも

外出するときも

片方の眼を隠さないと物がひとつに見えないので

眼帯が欠かせません。

 

 

母が様々な面でサポートしてくれ

姉も含め家族は本当にありがたい存在です。

娘の存在が私を前向きにしてくれました。

 

 

 

 

 

眼科では、毎回数時間かけて

視野検査等が行われました。

 

様々な方向から目の動きの写真もとり、

強面だけど優しい主治医が見せながら説明てくれました。

明らかに左の眼が動きが悪かった。

 

 

血液検査でも

数値はなかなか変わらず

「動きが悪いし視野も狭い。

眼(複視)は治らないかもしれない。」

そういわれても希望は捨てませんでした。

 

原因不明の難病

医師は患者に、過度の期待をさせないために

「大丈夫」

そう言わないことを理解していました。

 

 

 

 

大丈夫

きっと治る!

 

 

根拠はありませんがそう信じいました。

ある日、凹んでいる私に眼科の医師が

「プリズム眼鏡を作ってみようか。」

と提案してくれました。

 

プリズム値の測定はとても複雑で何時間もかかりましたが

牛乳瓶の底のような

分厚いメガネを特注してまつこと数週間

 

 

 

 

両眼でものがひとつに見えたときは

本当に感動しました。

 

信じる者は救われる!

 

それから

少しずつ改善し

仕事も始めました。

 

 

 

4年たち

左側は変わらず複視が続くものの

正面視でほぼ問題なくなりました。

 

 

ただ、夕方や疲れると慢性疲労化し

瞼が重く眼瞼下垂をひきおこすようになり

視野検査や診察の結果、

目の開きや眼球運動もそれ以上の自然治癒は望めず

改善の為には外科手術しかありませんでした。

 

 

1年半で2回局部麻酔で手術をしました。

難しい手術だったのですが

機能的には格段に改善しました。

まぶたの小さな傷は

元気になった証

上手にオペしていただき感謝しています。

 

 

12年たった今は

左目に軽度の外斜位と複視がありますが

このようにパソコン作業もできます。

通常の生活には問題ありません。

 

不整脈は、何度も検査を重ねた結果 

発症から2年後にアブレーション治療を行いました。

 

 

異常に脈が多くなり過ぎ

激しい動悸や胸の中の不快感がひどく

血流も弱くなり疲労感や息苦しさ

意識が遠くなるような症状が

現れ始めていたからです。

 

局部麻酔で足の付け根の太い血管から

カテーテルを入れて、

心臓内部の不整脈の原因となっている部分を

小さく高周波電流で焼き切りました。

焼き切れなかった部分もありました。

 

 

 

12年たった今でも

動悸などの症状はあります。

定期的にホルター検査をしていますが

心臓そのものは元気なことに感謝しています。

正直、手術はちょっと控えたいですから。

 

健康であることは何にも代えがたく

医療の力は偉大だと思います。

自分が不幸だと思ったことはなく

むしろラッキーでした。

 

 

稀な病気で後遺症もあるけれど

予後はよかった。

 

病気で大変な思いをされている人はたくさんいらっしゃいます。

それは入院生活でわかったことです。

 

 

当時の日記を読み返すと

自分の身に起こった事実を冷静に受け止め

初めて感じた死の恐怖も綴っていました。

 

 

大げさかもしれませんが、あの日々を思い出すと

こうして生きていられることが奇跡のようにも感じます。

 

 

病気のことは、聞かれない限り人に話したことはありません。

人は嫌なことや辛いことは忘れたいと思う生き物です。

そうであるべきだと思います。

 

 

あえて書いたのは

病気を通じて学んだことも多く

算命学を学び鑑定をすることにつながり

改めて整理して綴っておこうと思いました。

 

 

読んでくださった方には、重たい文章だったと思います。

このことは忘れて下さいね

 

いつもありがとうございます

 

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