自分が人とは違うということが分かっていて、何を話しても通じない。

それはひどくつらい事だ。

言葉が通じない。伝えたいことが伝わらない。

それは無力感だ。

無力感は話す気力を奪う。

どうせ理解されないって思いながら話すということは、

普通人が何かを話すときには、

分かってほしいという気持ちと、話せば伝わるという気持ちの二つが必要とされるんだろうけれど、

その両方の程度が低い。

話しても伝わらない。そうゆう自分は人には必要とされていない。

だから分かってもらえなくて当たり前だし、分かってもらいたいと思ってはいけない。

だいたい人間なんて嫌いなものを積極的に理解しようとは思わないから。

理解してもらえないってことは好かれてないってわけで。


そうやってどんどん、話さないからまた話す技術が落ちて、より伝わらなくなるっていう負のスパイラルが進んでいく。

なんかね、そうゆう自分ってどうなんだろうと思うけれど。


この間の満月の夜、一人で月を見ていたら色んな考えが止まらなくなって、

忘れていた昔のことまで思い出して、自分でもびっくりしてしまった。


ママと「月の色は何色か」という話になって、「銀色」と答えたらびっくりして笑われたこと。

月の色は黄色なんだと、そのとき初めて知りました。

今は、銀色よりシルバーという響きのほうがしっくりくるかなぁ。

それは多分、銀色は色鉛筆の色で、シルバーは金属の色を思うからだと思うけれど。

もしくは白かな。


それに関連して思い出したのは、何かの絵で太陽を黄色に塗ったらこれまたびっくりされたこと。

日本人の子供は赤く塗るものなんだそうな。

美空ひばりの聞きすぎなんじゃねぇのとか思うけど。

外国人の子供は黄色く塗るって聞いて、

今だったらやっぱりそんなの人それぞれなんだから日本パラダイムで押さえつけないでくれる?と思えるけれど、

その当時は子供だったから、外国人と一緒なんてやっぱり自分は変なんだとか思ったことを思いだした。


いろんなことがあったよねぇ。

でも、今見てもやっぱり太陽は黄色か白だ。私は本気でそう思う。


言葉にならなくて、いつしか私は話すことを諦めた。

私に理解できたのはいつだって本の中に書かれていることだけで、

だから書くことは私にとって自然なことだった。

英語で話しても伝わらないからスペイン語話すみたいな、そんな感覚。


書くことで、何かが整理されて、また動けるなら書くしかないと思った。

よく、インタビューなんかで歌手が歌うことについてそんな風に言ってたりするけれど、

痛いほど分かる。

書かないと、今書かないと、私はここから立ち上がるために足に力を入れることさえできないし、

多分この椅子の上で朝まで腑抜けていることになる。だから書く。


誰か、と呼びかけるのはもう止めた。

一人で生きていくしかないから。受け止めるしかないから。

ただ、死にたくて生きたい。

毎日毎日死にたい。でも死にたくない。生きたい。

こんなに毎日辛くて、死んで止められるなら止めたい。

でも、明日が、明後日が、10年後が、50年後が、見たくて、

こんな日々が、こんな私がどこへ行くのか、こんな人間の行く末が、私は見たい。見たいんだ。見たい。


世の中はすごい人ばっかりだ。

本屋さんに行ったってすごい社長さんの本ばっかり並んでいる。

みんな時流をつかんで信念を持って、ばきばきに仕事をして、そこにいる。

それが出来たらそこへ行く。

でも私が行くのはそこじゃない。

私は私のようなひどい人間の話なんて読んだことが無いから、だから知りたい。

どこに行くんだ。