本居宣長先生の歌文集『鈴屋集』七の巻に収録されている「八月ついたちごろ稲掛大平が十五夜の円居に出すべき月の文ども人々すゝめて源氏物語の詞つきをまねびてかゝせけるにたはぶれにかける文」と題した本来出会うはずのない『源氏物語』の作者紫式部と宣長先生が出会ったとする宣長先生ご自身は「戯言」と称した文章を原文のニュアンスを活かしつつ意訳したものを掲載します。

 

以前同文を現代語訳で掲載したことがありますが、かなり前の記事であると共に訳する時に誤訳を行っており、意味が通じない文章にしていたということもあり、今回改めて掲載致します。

 

宣長先生が紫式部を幻視するくらい、『源氏物語』を読み込んでいたというニュアンスがこの文章からも伝わればいいのですが。

 

 

八月十日過ぎの頃、月が大変素晴らしい夜。

縁側に座りながら、弟子の稲掛(いながき)大平(おおひら)が勧める十五夜の月見の会で披露する『源氏物語』を模倣した文章を今日明日には出さなければならないので、何を書けばいいのやらと色々と思い巡らしながら、月を眺めていた。

すると、遠くから聞きなれない物音が聞こえてくる。「不思議だな、何の物音だ」と思っていると、だんだんその音が近付いてくる。

「そういえば、昔京都にいた頃、賀茂の祭で見た車の音がこんな感じだったな」と思いながらその音を聞いていると、ますます不思議になって、ようやくまとまった文章の内容は、どこかにいってしまった。

何やら車らしきものがこの門の前に止まって、どうやら人の近づいてくる気配がする。いよいよ不思議に思って、使用人に外の様子を見に行かせた。

しばらくして戻ってくると

「何か見たことのない姿をした人がいます」

と言う。

外の者に気付かれないように腰を落とした姿勢で進み、伊予簾から外の様子を覗いてみた。

そこには狩衣姿の小奇麗な男がいて、何やら改まった声色を作って誰かに話しかけている。

そのまま眺めていると、たいそう見慣れない髪型をした主人かと思われる袴姿の女が出てきた。裾を少し持ち上げて片手には扇を持っている。扇で顔を隠している手付きなどは大変優美に見えた。

また若い女や子供など三、四人が後ろに立っており、見ていると皆感じが良い様子であった。

まるでこの人を意識したかのように、先程まで鳴き騒いでいた庭の松虫も黙り込んだかのように静まり返っている。

そのため、この女がたいそう興味深く思えてきた。

月は薄雲の中に隠れており、そんな僅かな光ではあるが、女の姿ははっきりと見える。見分けられる衣服の模様からして、彼らはこの時代の人には見えなかった。

昔の物語に出てくるような人に見える。そうは言ってもたいそう驚くべき身分の人とは思えなかった。

「そんなに高い身分の人には見えないと言っても、こんな田舎びたる場所には不釣り合いな方に思える。自分のような者が出て、どのように言葉を掛けたら良いものやら」と動揺したが、このままじっとしているわけにもいかないので、そこら辺にある使い古している敷物を集めてきて彼らの前へ出て、

「たいそう粗末ではありますが、しばらくの間はこれにてお許しを」

と言って敷きつめていると、例の男が寄って来て、

「夜中に突然訪問しましたので、とても不審だなとお思いのことでしょう。しかし昼間に我が主人がこちらに参るわけにもいきませんので、世間に隠れて、あえて夜更けに訪問致しました。この御方は、昔上東門院(じょうとうもんいん)様がまだ中宮でいらした頃、院様にお仕えになさっていた女房で、人々から紫と呼ばれていた式部の君です」

と言うので、たいそう動揺し驚きあきれていた。

そうしていると夜が更けていくにつれて、風がたいそうひんやりと身に沁みて、何となく寒くなってきた。

そんな中、薄雲に隠れていた月が華やかに姿を現わした。

その光を受けて、式部の君の姿も先程よりはっきりと見ることが出来る。式部の君は扇を顔から離さないので、その顔を拝見することは出来ない。

「お聞きしましたところ、近頃この松阪の人達は、光源氏の物語にたいそう心を惹かれて、この作品の趣向を真似た文章を書いていらっしゃるとか。そんな風の噂を式部の君はお聞きになり、日頃からどうにかしてこの喜びを申し上げるために参上しようかと仰っていらっしゃいました。そして今宵の月に誘われたかのように、こちらへいらっしゃったのです」

と男が言うと、式部の君も「嬉しく存じます」と、ただ一声仰る。そのかすかな声も大変言いようがなく、上品で愛らしかった……。

 

本居宣長記念館の吉田悦之名誉館長の『宣長にまねぶ』の中でもこの文章は紹介されており、

この来訪を語る文の題には「戯れ」とあるが、本当に幻視していたのではないかと私は思う。これくらい細部まで思い描けるほど、細かなところまで調べて、また読み込んでいるのである。

と書かれています。

 

宣長先生の『源氏物語』に対する姿勢を考える上でのヒントになるかもしれないとも思いますが、皆さんはどのように思われるでしょうか。