本居宣長先生が古道を万葉仮名を用いて詠んだ歌集『玉鉾百首』。
何度か当ブログでも紹介しておりますが、今回は昨今天皇陛下の昨夏の御言葉以降色々と議論を呼んでおります我が国の皇統に関する和歌を紹介したいと思います。
国々の 君は変はれど 高光る
我が御子の 御代は変はらず
この歌は、宣長先生が他国(主に唐土)が度々王朝交代を繰り返しているのに対して、我が国が権力者は変わっても、神武天皇以来その皇統は「日嗣の皇子」つまり天照大御神を祖とする皇族が代々その御位に御就きになられて今日まで続いている、まさに「万世一系の皇統」について詠まれたものです。
度々断絶の危機になりながらも、必ず皇統を継承される方が出てきて、その御位に御就きになられる。
それに対して、他国は前王朝を倒したものが新たな王になり、それを繰り返している。
その典型ともいうべき唐土に至っては、王位を簒奪する盗人の類を「聖人」と称している。
宣長先生は元服前後に唐土の歴代王朝の系図である『神器伝授図』を写して、王朝が断絶した個所には朱線を引き、視覚的にも唐土の王朝簒奪の歴史を理解されていたわけです。
そして『古事記』などの書物を通して、我が国の歴史と皇統の不変さを見比べて、「日本の特異性」を理解されたわけです。
しかし、当時は「儒学が生活規範」であり、恐れ多くも天皇から庶民まで儒学によって支配されていたといってもいい時代でした。
そういった時代背景もあり、何でもかんでも「唐土を尊重する」儒学者をはじめとする知識人の姿勢に宣長先生が嫌悪感を抱き、「日本の特異性」を必要以上に強調しなければならなかったのです。
そう考えると、偏狭なナショナリズムと捉えるのではなく、外来文化を尊ぶ人々が多い中、「自国を見つめなおし」その特異性に目を向け、そこに感動を覚えた宣長先生の姿勢を見るべきではないかと思います。
今の日本にもこの宣長先生の姿勢が必要だと思えて仕方ありません。
「日本の日本たる所以」は、今上陛下に至る皇統の歴史と伝統であることは間違いないのですから。
宣長先生の言葉と心を伝えることの大切さはそこにあると思います。
それでは。