2015年11月に2回目のインドに、妹と行って来ました。
豊かな日本にいると気付きにくいことをインドは色々と教えてくれます
インドといえば、お釈迦さま(ブッダ)が、様々な修行をし、悟りを開き、法を説いて広めたところです。
その悟りを求めて6年に及ぶ苦行を行ったのが、ブダガヤ郊外にある岩山の「前正覚山」です。
この岩山の中腹に、お釈迦さまが断食をした小さな洞窟があります。
洞窟までは、ふもとから続く狭い坂道を20分くらい登っていきます。
そこで目にするのは、裸足で地面に座り、物乞いをするたくさんの貧しい子供たちです。
洞窟には、お釈迦さまを信仰する沢山の人が一列に並んでいました。
入口は、人ひとりがやっと通れるくらいです。
小さな洞窟の中には、苦行する釈迦像が置かれています。
その姿は、全身に骨格が浮きだし、目はおちくぼみ、その苦行がいかに激しいものであったかを伝えています。
結局、お釈迦さまは、苦行では悟りを開くことができませんでした。
苦行を止め、里に下り、菩提樹の下で瞑想をして悟ったのです。
お釈迦さまでさえも、”苦行では悟りは開けない”ということが分かるに至るには、実際にその苦行を経験しなければならなかったのです。
魂の目的は、物理的な肉体の生死を繰り返して、地上で様々な経験をすることで気付き、成長・進化していくことです。
そう、経験しなければ、気付けないのです
そして、魂の生まれ変わりの回数で、それぞれの成長段階があり、誰もがその段階でのテーマを経験していくのです。
あの坂道に座る裸足の子供たちも、魂を成長させるための一つの段階を経験しているのです。
貧しさの中で学び、成長しているのです。
そう理解すると、裸足の子供たちは、貧しさの中から沢山のことを学ぼうとしている真摯な魂の子供たちとして尊重して見ることができます。
目指す目的地は、皆一緒です。
その道の先を歩いているか、後を歩いているかの違いだけ。
一見、ネガティブに見える人であっても、置かれた環境や状況の中から学んでいる神聖な魂であると見て、尊重することが大切だと思います