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今回は、介護老人保健施設について書いてみたいと

 

思います。

 

介護老人保健施設(ろうけん)は、介護を必要とする高齢の

 

方の自立を手助けし、家庭への復帰を目的にして

 

日常生活動作のリハビリを行う施設です。

 

自宅に帰ることを目的にしているため、専門職の職員などが

 

定期的に見回り検討をします。

 

ろうけんを利用できる人は、要介護度1から5の方で

 

病状は安定していて入院は必要なくリハビリを必要と

 

している人です。

 

ですが、入院して治療することが必要になる人もいる

 

でしょう。そんな時は、適切な医療機関を紹介します。

 

利用者負担は、原則1割で部屋代や食費は、自己負担と

 

なりますが、所得の低い人の利用が妨げられないよう

 

補足給付があり、負担限度額が設定されています。

 

といった紹介の仕方が一般的ですが、ろうけんはショート

 

ステイを行っている場合が多いため、そのショートステイを

 

利用して特別養護老人ホームへの入所待ちをしている人が

 

多いのも現実です。

 

以上、介護老人保健施設ついて書いてみました。

 

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ドジャースには日本人選手が集まっています。

 

日本人一人で孤軍奮闘するより結果はよくなるのではと

 

思います。

 

この調子だとドジャースは、ワールドシリーズ2連覇

 

でしょうか?

 

こんにちは!

 

靖國神社遊就館へ行ったつづきで、今回はアッツ島の戦い

 

について書いてみます。

 

アッツ島の戦いは、太平洋戦争の戦いの一つです。

 

1942年6月7日より日本は、アメリカの領土だった

 

アッツ島を占領していたのですが、その奪還を目指し

 

1943年5月12日よりアメリカ第7歩兵師団が

 

上陸を始めます。

 

日本側は、山崎保代陸軍大佐がアッツ島の守備を行って

 

いましたが兵力から見ても施設から見ても

 

アメリカ軍を迎え撃つという意味では不十分と言わざるを

 

得ませんでした。

 

この上陸により制海権、制空権共にアメリカ側に奪われ、

 

日本のアッツ島守備隊は大ダメージを受けます。

 

大本営はもちろんアッツ島の増援を検討はしますが、

 

この頃の主戦場をミッドウエーと考えていたため

 

アッツ島増援などする余力はありませんでした。

 

最終的にアメリカ軍の損害も大きなものでしたが、

 

日本のアッツ島守備隊は全滅し、この時初めて「玉砕」と

 

いう言葉を使用して日本本土の人たちにこの惨劇を

 

伝えました。

 

昭和天皇もアッツ島守備隊全滅の報を聞いた時、

 

最後までよくやったとの打電を命令しましたが、

 

その場にいた杉山元参謀総長は、「守備隊は全員玉砕した

 

ため、打電しても受け手が居りません。」と返答したと

 

されています。

 

以上、靖國神社遊就館へ行ったことについて書いて

 

みました。

 

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今回は、特別養護老人ホームについて書いてみたいと

 

思います。

 

特別養護老人ホームは、食事の介助や排せつ、入浴など

 

日常生活のお世話をする施設です。

 

特別養護老人ホームには、ユニット型個室(完全な個室)、

 

ユニット型個別的多床室(個室だが多少間仕切りに甘い

 

ところがある。現在は新たに建設することは不可。)、

 

従来型個室、多床室(3、4人部屋)があります。

 

基本的に要介護3以上の人が入所できるのですが、

 

例外もないわけではありません。

 

例えば、家族等による深刻な虐待が疑われるような場合で

 

心身の安全安心の確保が難しい時や、認知症であるため

 

日常生活に支障をきたす症状や意思疎通の困難さが頻繁に

 

見られ、自宅だと日常生活を送るのが困難な場合は、

 

要介護1や2でも特養に入所できます。

 

また、東京など都市部の特養は入所希望者が多いため

 

待機者が多く存在します。

 

以上、特別養護老人ホームついて書いてみました。

 

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トランプ次期大統領は、グリーンランドをアメリカが所有

 

すべきだなどの発言を行っているようです。

 

とても実現するとは思えませんが、世界中の大統領や首相や

 

マスコミの注目を集め世界中の人々から注目を集める存在で

 

あることは事実のようです。

 

こんにちは!

 

靖國神社遊就館へ行ったつづきで、今回はニューギニア作戦

 

について書いてみます。

 

ニューギニア作戦とは、第二次世界大戦中期以降、

 

ニューギニアで連合国軍と日本軍が激突した戦いです。

 

ニューギニアとはオーストラリアから北に少し離れた場所を

 

指します。1942年、1月このニューギニア作戦を

 

行うことを日本軍は決定し、1942年3月8日、

 

日本はニューギニア東部のサラモア、ラエを占領し

 

戦闘は開始されます。マッカーサー率いる連合国軍と戦い、

 

連合国軍の戦力に圧倒されながらも1945年の

 

8月15日終戦の日まで戦いは続きます。

 

ニューギニアでの戦いはアメリカを中心とする連合国軍との

 

戦いはもちろんのことですが、それ以上に過酷な自然環境

 

との戦いでもありました。

 

この戦いによる日本兵の死因の多くは腸チフス、マラリア

 

などの病気と栄養失調による餓死が主な原因でした。

 

また連合国軍から執拗な攻撃を受けていたため

 

作戦遂行にはジャングルを徘徊することがしばしばでした。

 

ジャングルの中を進むには方位磁石を必要としますが、

 

日本兵には配られてなく、道に迷った末にワニに食べられる

 

者もいたと言います。

 

更に日本軍は補給能力に乏しかったため、食料の調達は

 

必然的に現地調達となりました。中国での戦いでは

 

人家や田畑から奪い取ってくれば事足りたのですが、

 

ニューギニアは大自然なのでそうはいきません。

 

相当に苦労したと言われています。戦争末期になってくると

 

補給も完全に途絶え、人肉を食べることで生きながらえる

 

日本兵もでてきます。

 

それに対して、アメリカを中心とした連合国軍は

 

缶詰を食料にし、ジャングルでの戦闘では特に役に立ったと

 

されています。日本軍の状況と異なり、海からも空からも

 

食料が運ばれ米兵は新鮮なお肉を食べて日本軍に

 

立ち向かっていました。

 

戦況は、1942年4月まで日本軍が制空権を掌握して

 

いましたが、同年8月になると戦闘が激化、伯仲し

 

9月になると次第に連合国軍に圧倒されます。

 

以上、靖國神社遊就館へ行ったことについて書いて

 

みました。

 

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今回は、要介護認定について書いてみたいと思います。

 

介護保険のサービスを受けるためには、その前に要介護認定

 

を受ける必要があります。

 

まず、本人や家族などが市役所などで申請します。

 

居宅介護事業所や地域包括支援センターが手続きを代行して

 

いる場合もあります。

 

主治医を指定しておくことが必要になります。

 

申請をすると認定調査を受けることになります。

 

役所から連絡があり、調査員が本人の様子を見たり、

 

聞き取りの調査を行います。

 

調査結果と主治医意見書に基づいてコンピューターによる

 

一次判定を行います。

 

次に介護審査会による二次判定へと移ります。

 

この段階でどれくらいの介護を必要とするかの判定を

 

行います。

 

認定結果及び、介護保険被保険者証、介護保険負担割合証が

 

届きます。

 

要介護1から5、要支援1から2、非該当(自立)が分かり

 

認定の有効期限等も確認できます。

 

以上、介護保険ついて書いてみました。

 

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豊洲市場で大間のクロマグロが2億700万円で落札され

 

ました。史上2番目の高値だそうです。

 

これで日本も失われた20年、いや30年かわかりませんが

 

脱出できることを期待いたします。

 

こんにちは!

 

靖國神社遊就館へ行ったつづきで、今回はガダルカナル作戦

 

について書いてみます。

 

ガダルカナル作戦は、1942年の8月から開始された

 

日本と、アメリカを中心とする連合軍が、ソロモン諸島の

 

ガダルカナル島で繰り広げた激しい戦いです。

 

真珠湾攻撃で奇襲を成功させた日本は、南方作戦においても

 

最初は予想以上の成果をあげ領土を拡大していきます。

 

そのため次の作戦の立案が急がれる状況になります。

 

そこで日本海軍で考えたのが、アメリカとオーストラリアを

 

分断するためにフィジーを攻略することです。

 

海軍は上記のように積極的作戦を立案したのですが、

 

日本陸軍は違いました。陸軍の目は、日中戦争を何とか

 

することに向いており、これまで獲得した東南アジアの

 

地域は資源調達のための土地との認識に立ち、これ以上の

 

戦線の拡大には否定的でした。

 

ただ日本海軍のイケイケムードもミッドウェー作戦の

 

大敗北によりとん挫することになります。

 

頓挫と言っても海軍陸軍共に、アメリカとオーストラリアの

 

分断は重必要との認識で一致します。

 

そのため、ガダルカナル島に航空基地を建設して

 

このあたりの制空権を獲得することをもくろみます。

 

日本は航空基地の建設についてあくまで人力による非常に

 

効率の悪いやり方で行ったのに対し、アメリカは建設機械を

 

大々的に用いて能率よく滑走路を数日で仕上げるといった

 

差がありました。そもそもヘンダーソン飛行場の滑走路は

 

日本が2000人以上を投入し約1か月にわたって工事を

 

行っても、完成直後にアメリカ軍に上陸占領されてしまう

 

状況でした。

 

このガダルカナル作戦で日本は多数の兵士を餓死させ

 

航空機、燃料、軍艦等を失います。

 

ミッドウエー作戦とともにこのガダルカナル作戦も大敗北。

 

以後、アメリカの底力を見せつけられることになります。

 

以上、靖國神社遊就館へ行ったことについて書いて

 

みました。

 

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明けましておめでとうございます。

 

今年も皆様に少しでも役に立てるブログを書いていきたいと

 

思います。

 

よろしくお願いいたします。

 

今回は、介護保険について書いてみたいと思います。

 

介護保険は、介護を必要とする高齢の方に、その費用を

 

給付する社会保険です。

 

介護サービスを受けるには、サービスの総費用の1割が

 

利用者負担となります。(年収が220万円以上の時は、

 

利用者負担率が2割や3割になります。)

 

40才になると介護保険への加入が義務付けられ、介護保険

 

料を支払わなければなりません。

 

介護保険の加入者は、第1号被保険者と第2号被保険者に

 

分けられ、第1号は65才以上の人、第2号は40才以上

 

64才までの人となっています。

 

どちらに分類されても保険料の支払いはありますが、

 

第1号被保険者は原則年金からの天引き、第2号被保険者は

 

加入している健康保険の保険料とともに徴収されます。

 

以上、介護保険ついて書いてみました。

 

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2024年も終わりを迎えようとしています。

 

皆様、年末の買い物などに大忙しでしょうか?

 

2024年は、元旦早々、能登の地震があったので、

 

私は勝手に今年はあんまりよくない年になるかなと思って

 

いましたが、実際はそうでもありませんでした。

 

朝から晩までフル回転、それなりに充実した日々が

 

続いたと思っています。

 

こんにちは!

 

靖國神社遊就館へ行ったつづきで、今回はミッドウェー海戦

 

について書いてみます。

 

ミッドウェー海戦は、大東亜戦争の一環として、1942年

 

6月5日から6月7日までミッドウェー島周辺で行われた

 

日本とアメリカの戦争です。

 

1942年4月、山本五十六率いる連合艦隊を中心に

 

米軍の基地であったミッドウェー島(ハワイ諸島北)を

 

攻略する作戦が立案されます。

 

山本はもともとこの戦争に対して、「日本は開戦から半年、

 

もって1年は優勢を維持できるが、それ以降はアメリカの

 

国力が日本を圧倒する。」との考えを述べていたため

 

短期決戦、早期講和を目指していたとされています。

 

すなわち、このミッドウェー海戦でアメリカ艦隊の早期

 

撃滅を目指していました。

 

しかし結果は、日本軍の損害、空母4隻喪失(蒼龍、

 

飛龍、加賀、赤城)、重巡1隻喪失、重巡1隻損傷、

 

駆逐艦2隻損傷、飛行機372機喪失。

 

これに対して米軍は、空母1隻喪失(ヨークタウン)、

 

駆逐艦1隻喪失、航空機150機喪失でした。

 

誰が見ても日本軍の大敗北となり、以後攻守が逆転し、

 

日本の敗戦へとつながります。

 

米軍の勝利の最大の要因は、アメリカ海軍情報局の

 

暗号解読だとされています。

 

要するにミッドウェー島を日本が襲撃することを読んでいて

 

待ち伏せていたわけです。

 

以後、アメリカは暗号解読に多額の予算をつぎ込み

 

第二次世界大戦全体を通して大きな成果を上げます。

 

以上、靖國神社遊就館へ行ったことについて書いて

 

みました。

 

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今回は、年金制度について簡単に書いてみたいと思います。

 

人はだれでも学校を卒業したら働き始めます。

 

若くて健康な頃は頑張って働いていればいいのですが、

 

いつかは体力が衰えてきますので、その衰えた時のために

 

老齢年金というものがあります。(生涯現役と言って

 

本当に亡くなる直前までお仕事をされている人も

 

いますが。)

 

就職して働き始め一定期間保険料を納めていれば(事実上、

 

勝手に引かれている。)、老齢年金を受け取る資格が

 

生まれます。国民年金、共済年金、共済年金といったものが

 

ありますが、これらは原則65才から受け取れます。

 

どの年金制度に加入していても請求しないと需給は

 

できない仕組みになっています。

 

次に遺族年金です。

 

遺族年金は、亡くなった被保険者の遺族に支給される年金

 

です。生計を同じくしていること、前年の収入が850万円

 

未満であることといった条件をクリアーする必要が

 

あります。

 

次が障害年金。

 

けがや病気で障害の認定を受けていれば受け取れる年金

 

です。

 

以上、年金制度ついて書いてみました。

 

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こんにちは!

 

靖國神社遊就館へ行ったつづきで、今回はフェートン号事件

 

について書いてみます。

 

1808年8月と言えば、ヨーロッパではナポレオン戦争の

 

最中だったのですが、この時、フランスに支配された

 

オランダの軍艦を捉えることを目的にして、イギリスの軍艦

 

フェートン号が長崎出島に現れます。

 

ただフェートン号はイギリスの旗を上げず、オランダ国旗を

 

掲げて入港したため、出島のオランダ商館の商館員

 

ボウゼルマンとシキンムルらを小舟で派遣し乗船しようと

 

したところ船員らによってボウゼルマンとシキンムルは

 

捉えられます。人質を取ったとたん、オランダ国旗は降ろし

 

イギリス国旗を揚げ、オランダ船を探索します。

 

それに対して、管轄の長崎奉行所はオランダ商館員の2名の

 

解放を要求するが聞き入れられず、フェートン号から

 

薪と水を要求される有様でした。

 

そのため、長崎奉行の松平康英は湾内警備を行っていた

 

福岡藩と佐賀藩にフェートン号を捉える準備を命令します。

 

この当時江戸の世は平和そのものでした。

 

その年の湾内警備の兵を出しているのは佐賀藩。

 

幕府に内緒で本来いるはずの兵力の10分の1を

 

置くに止めて経費削減をはかっていました。

 

そこで長崎奉行の松平康英は近隣の九州諸藩に応援を

 

求めます。その間、時間かせぎを目的に多少の水や食料を

 

フェートン号側に与えます。この時点で捉えられていた

 

商館員2名は釈放されます。

 

松平康英は応援に駆け付けた大村藩の兵でフェートン号を

 

捉えようとしますが、もう少しのところでフェートン号は

 

出港してしまいます。

 

後から考えれば被害は、多少の食料と水だけだったにも

 

かかわらず、長崎奉行の松平康英と警備担当の佐賀藩家老は

 

切腹します。

 

幕府はこの事件後の1825年に異国船打払令を出し、

 

イギリスは国防上の研究対象になります。

 

以上、靖國神社遊就館へ行ったことについて書いて

 

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