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こんにちは!

 

今回も靖國神社遊就館へ行ったつづきで、大正天皇を

 

取り上げてみたいと思います。

 

大正天皇は、1879年8月31日、東京府の青山御所で

 

明治天皇の第三皇子として生まれます。

 

生まれた時から健康状態は良好とはいえず、何度となく

 

大きな病を患いながらも、その都度切り抜けていくような

 

生活を送っていたようです。普通なら小学校に入学する年に

 

なっても体調が思わしくなく個人授業を受けていましたが、

 

1887年9月から学習院予備科に通うようになります。

 

ただ健康状態がよくないため勉強の遅れが目立ち始め、

 

学習院中等科1年修了を機に退学します。

 

1893年には沼津御用邸、1894年には葉山御用邸、

 

1899年には日光田母沢御用邸、1904年には

 

塩原御用邸を建設します。これらは皇太子(大正天皇)の

 

静養を目的につくられた御用邸で以後、長く滞在をする

 

ことになります。

 

1891年頃から皇太子もそれなりの年齢に達してきたこと

 

から皇太子妃選びが開始されます。明治天皇の側近が

 

動いた結果、伏見宮家の禎子女王が候補として挙がり

 

皇太子妃に内定します。ただ禎子女王に肺病の疑いがでてき

 

たため婚約内定は取り消されます。これが大正天皇婚約

 

解消事件と呼ばれるものです。皇太子妃探しはその後も

 

続けられ、性格、体の調子の両方がいい女性ということで

 

進められた結果、旧摂関家出身の九条節子が候補にあがり、

 

最終的に結婚までこぎつけます。

 

さてここからは話を変えて、大正天皇が好きだった人、

 

嫌いだった人ということで書いてみます。

 

大正天皇が特に嫌っていたのは山縣有朋だそうです。

 

皇太子の時に山縣は君主としての理想像を説き、天皇に

 

即位した後も、父親の明治天皇を引き合いに出して

 

説教をしたと伝えられていますので嫌っていたようです。

 

そのため山縣が大正天皇に拝謁を求めてきても女官に対応

 

させていました。

 

それに対して好きだったのは、原敬や大隈重信でした。

 

特に大隈は大正天皇の話し相手として興味深い話をすること

 

から大正天皇の信任を得たようです。

 

以上、靖國神社遊就館へ行ったことについて書いて

 

みました。

 

私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。

https://yokosuka-gyoseishoshi.com/