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11月の大統領選に向けてのバイデントランプの討論会が

 

行われました。

 

バイデン大統領は年相応、トランプ前大統領は言っている

 

内容がいいか悪いかは別にしてお元気だと思いました。

 

今回の討論会の勝者はトランプ前大統領ということになって

 

いるようです。

 

こんにちは!

 

今回も靖國神社遊就館へ行ったことについての続きを

 

書いてみます。

 

靖国神社遊就館では、安政の大獄について書いてあったので

 

そのことについて書きます。

 

安政の大獄は、1858年から1859年にかけて

 

大老の井伊直弼が外国との条約調印と将軍継嗣の問題で

 

意にそぐわない意見を表明した者に対して行った

 

弾圧を指します。

 

江戸幕府では、13代将軍に家定が就任するが病弱であった

 

ため跡継ぎの男の子が生まれる見込みがありませんでした。

 

なので前水戸藩主徳川斉昭の七男である一橋慶喜を推す

 

グループと、あくまでも血統を重視する紀州藩主

 

徳川慶福を推すグループが対立していました。

 

また、この当時アメリカ総領事ハリスは日米修好通商条約

 

への調印を強引に迫っていました。幕府内では海外との

 

条約を結ぶには天皇の勅許が必要という意見が出ました。

 

そこで老中の堀田正睦を京都に行かせて勅許を得ようと

 

しましたが目論見が外れて勅許は得られませんでした。

 

そんな状況下で大老に就任したのが井伊直弼です。

 

井伊直弼は、将軍の跡継ぎ問題は血統を重視した紀州藩主

 

の徳川慶福(後の家定)に決定し、無勅許のままの条約

 

調印も行い独断専行します。

 

当然のごとく反対派は大声をあげますので、この反対派を

 

一網打尽にします。弾圧は水戸藩に厳しく死罪8名中

 

4名が水戸藩の者でした。その他にも幕府は老中間部詮勝ら

 

を京都に送って反対派を捕縛しました。

 

弾圧された者の中には、水戸藩藩主徳川斉昭など大物も

 

いて井伊直弼に対する反発は日増しに高まってきました。

 

この安政の大獄に不満を持った者、特に水戸藩を脱藩した

 

浪士が中心となり井伊が江戸城の桜田門を出たところで

 

襲い掛かります。(桜田門外の変)

 

この襲撃で井伊直弼は殺害され、表向き解決したことに

 

なりました。

 

以上、靖國神社遊就館へ行ったことについて書いて

 

みました。

 

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https://yokosuka-gyoseishoshi.com/