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春の入学、入社のシーズンも過ぎ、そろそろ5月の連休が

 

近づいてきました。最近はかなり暑くなってきたように

 

思います。

 

こんにちは!

 

今回は、靖國神社遊就館へ行ったのでそのことについて

 

書いてみます。

 

靖國神社遊就館は、幕末から大東亜戦争の戦没者や軍事関係

 

の資料を収蔵・展示している施設です。

 

 

↑は、戦艦大和の模型です。数多くの展示がされていて

 

大変興味深い施設なのですが、今回は戦艦大和に焦点を

 

あてたいと思います。

 

大和は、戦前に大日本帝国海軍が製造した大型戦艦の

 

一番艦です。二番艦は武蔵なのですが、46cm主砲

 

3基9門を備え、設計をはじめとして当時の日本の最高技術

 

を集めた戦艦です。特に46cm主砲の存在が最高軍事機密

 

であったので、その秘匿には全力を注いでいたようです。

 

建造に関わる人には、厳重な身元調査が行われ、他の部署に

 

関する情報には必要以上に触れさせないよう注意を払って

 

いたと言います。ただ頭を隠して尻を隠さずみたいなところ

 

があり、海軍関係者の間では巨大戦艦建造は公然の事実で

 

あったようです。海軍兵学校の学生を乗せた練習用の

 

機体が戦艦大和の上空を飛び、教官が学生たちに大和を

 

見せたとのエピソードも残っています。

 

さて頭を隠して尻を隠さずはともかく、大和建造を計画

 

していた頃から航空主戦論者の将校の山本五十六などからは

 

大型戦艦の建造は必要ないのではと批判されていました。

 

当時航空主戦論が提唱され始めていたためです。

 

ただこういった意見は聞き入れられず製造が進められまし

 

た。

 

大和は対東亜戦争開始直後の1941年に就役し、

 

ミッドウェー海戦が初陣となり1945年にすでに沖縄に

 

上陸していたアメリカ軍へ攻撃を加える特攻作戦を

 

遂行するため沖縄に向かっていたところ、空からは

 

戦闘機の爆弾投下、水中からはアメリカ軍の高性能爆薬を

 

登載した魚雷が左舷に集中して直撃を受け1945年

 

4月7日沈没。

 

大和沈没の知らせは当時の鈴木貫太郎内閣に即座に伝えられ

 

敗戦の認識を持たざるを得ない状況に追い込まれたと

 

いいます。

 

以上、靖國神社遊就館へ行ったことについて書いて

 

みました。

 

私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。

https://yokosuka-gyoseishoshi.com/