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うれしいです。
2月に入り関東地方は一段と寒くなってきたように
思います。このブログを出す予定の2/5(月)は
雪が降るとの予報も出ています。
天気予報の精度は果たしてどれくらいなのでしょうか?
こんにちは!
今回も国立公文書館へ行ったことについて書いてみます。
↑の写真の上方が民選議員設立建白書です。
ということで今回は、民選議員設立建白書について
書いてみます。
民選議員設立建白書提出の少し前の1873年末に
明治六年の政変が起こります。
日本政府は、お隣の李氏朝鮮とのお付き合いを強硬に
推し進め、それがかなわない時は武力も辞さないという
征韓論を板垣退助、副島種臣、西郷隆盛、後藤象二郎、
江藤新平は主張します。この主張、一度は明治天皇にまで
上げられ認可されます。
しかしこのころ岩倉使節団として岩倉具視、伊藤博文、
大久保利通、木戸孝允といった政府の主要メンバーは
海外に視察に出ていました。まず先に帰国した木戸と
大久保が海外でなく国内の統治をしっかりすることが
優先だと言い、征韓論に反対の意見を表明します。
その後残りのメンバーも帰国し彼らも同様に征韓論に
反対します。政府内では連日、征韓論を主張する者と
反対派で議論を戦わせますが、結局征韓論を主張していた
西郷隆盛や板垣退助といった人達は敗れ下野します。
これが明治六年の政変です。
この政変の後、西郷は西南戦争へ、板垣は民選議院設立
建白書の提出となります。
民選議員設立建白書は1874年に板垣退助、後藤象二郎ら
によって国会開設を求めて、左院(立法の詰問機関)に
提出され、提出翌日には英国人ジョン・レディー・
ブラックによる新聞「日新真事誌」にスクープされ
一般市民も知ることとなります。
以上、国立公文書館へ行ったことについて書いてみました。
私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。