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金正恩総書記は、1月5日に岸田首相に能登半島地震を

 

見舞う電報を送ったそうです。知っている方もいらっしゃる

 

と思いますが、電報を送った理由は秋の米大統領選で

 

トランプ氏が大統領に返り咲く予測もあるため、

 

先に日本を丸め込んでおこうという考え方のようです。

 

こんにちは!

 

今回も国立公文書館へ行ったことについて書いてみます。

 

 

↑の展示資料は教育勅語です。

 

1890年の地方長官会議において徳育教育確立を求める

 

建議が行われたのがきっかけとなり井上毅と枢密院顧問官

 

元田永孚が中心となって作成した教育勅語です。

 

1890年10月30日作成、翌31日付の官報で公表。

 

明治新政府発足以来、それまでの鎖国政策で遅れをとって

 

しまった知識や技術習得を最優先する方針が取られて

 

きました。その成果は上がり海外の知識や技術は習得でき

 

つつあったのですが、それとともに日本国内では自由民権

 

運動が勃発するようになりました。これを政府は危険視し、

 

弾圧対象とする方針を固め、自由民権運動が今後再び

 

起こらないよう学校教育の改善を決定します。

 

そんな状況の下、1879年の教学聖旨において天皇は、

 

仁義忠孝に重きを置いた徳育の重要性を説きました。

 

ただ、この教学聖旨は読み書きそろばんと儒教を骨子と

 

する時代遅れの内容であったため人々から振り返られる

 

ことはほとんどありませんでした。

 

そこで登場したのが教育勅語です。

 

1890年2月26日の地方官会議で知識の伝授に偏る

 

教育方針を改め、道徳心の醸成も大切とする建議を議決し、

 

時の総理大臣山縣有朋に求めました。

 

明治天皇も以前から道徳教育に関心を持っていたため

 

文部大臣榎本武揚に道徳教育の方針を立てるよう命じ

 

ました。ただ榎本武揚は興味がなかったのか全く推進せず

 

文部大臣を更迭される紆余曲折もありました。

 

出来上がった教育勅語は、国民道徳の絶対的基準、教育活動

 

の最高原理とまで言われ、第二次世界大戦中、生徒に対して

 

教育勅語の全文暗唱を求めました。

 

しかし敗戦という事実には抗えず、1948年6月19日に

 

衆議院と参議院で教育勅語が廃除、失効されることが

 

確認され、学校教育の場に置かれていた教育勅語の謄本は

 

回収、処分されることになりました。

 

以上、国立公文書館へ行ったことについて書いてみました。

 

私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。

https://yokosuka-gyoseishoshi.com/