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台湾の総統選挙で、与党・民進党の頼清徳氏が勝利を

 

おさめました。台湾の中国への対応はこれまで通り

 

アメリカに比重を置いた政策が実現されることになること

 

だと思います。

 

アメリカ国内では2025年までに中国が台湾へ進攻するのでは

 

と懸念する人たちがいます。

 

この予想が当たるのかはずれるのか、しっかり見守って

 

いきたいと思います。

 

こんにちは!

 

今回も国立公文書館へ行ったことについて書いてみます。

 

 

↑は、日露戦争の結果として結ばれたポーツマス条約です。

 

ということで今回は、ポーツマス条約について書いて

 

みます。

 

ポーツマス条約は、1905年アメリカのポーツマス海軍

 

造船所で日本側、小村寿太郎とロシア側、ウィッテの間で

 

結ばれた条約です。

 

1904年から始まった日露戦争は、1905年3月

 

奉天占領、1905年5月27,28日の日本海海戦の

 

勝利と日本軍はロシア軍に対して有利に戦争を進めて

 

いました。しかし内情は、武器弾薬は底をつき、

 

部隊の先頭を任されて下士官や兵を指揮していた大尉、

 

中尉、少尉といった階級の軍人が多く戦死して戦争を

 

これ以上継続することが難しくなっていました。

 

対するロシア側もロシア第一革命が起こり国内が混乱して

 

いました。

 

そんな状況下、当時ヨーロッパを超えようとしていた米国に

 

日本は仲介をお願いして戦争終結に持ち込むことを

 

画策します。

 

アメリカはアメリカで、日露戦争開始当初から日本を支持

 

するとしていて、日本の国債を買い支え、ヨーロッパ列強の

 

中国支配に楔を打ち込もうとしていました。

 

ただ日本とロシアのどちらかが圧倒的な勝利を収めることは

 

阻止する必要がありました。

 

こうして3者の思惑が合致し戦争終結に向けての会談が

 

持たれることになったのです。

 

当初、日本側全権は伊藤博文になることで話が進んで

 

いましたが、伊藤自身は全権を引き受けるつもりでいた

 

ものの、伊藤の側近は反対で最終的に伊藤自身も全権を

 

断りました。

 

この交渉は当初から難航が予想されており、当時の首相

 

桂太郎が戦勝の栄誉を担い、国民からの不満を伊藤が

 

一手に引き受けるのではないかと見られたためです。

 

結局この困難な交渉の全権を引き受けたのは外務大臣だった

 

小村寿太郎です。

 

ロシア側全権ウィッテはロシア皇帝より「一握りの土地も

 

わずかな金も日本には与えてはならない。」

 

と言われていたようで予想通り交渉は難航します。

 

結局、賠償金は取れず、ロシアは韓国における日本の指導や

 

保護、監督に口を挟まないこと。

 

樺太の南半分を日本に譲渡することなどを盛り込んだ

 

ポーツマス条約が結ばれます。

 

以上、国立公文書館へ行ったことについて書いてみました。

 

私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。

https://yokosuka-gyoseishoshi.com/