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今年は元旦早々、能登半島で大地震がありました。

 

能登半島に住んでいる方々は大変な思いをしていると思い

 

ますが、今度は被災者のために支援物資を届けるために

 

羽田空港で離陸を待っていた海上保安庁の航空機が

 

日本航空の旅客機と衝突しました。

 

悪いニュースが次々と起こる1年でないといいのですが。

 

こんにちは!

 

今回も国立公文書館へ行ったことについて書いてみます。

 

 

↑は、大日本帝国憲法についての史料です。

 

ということで今回は、大日本帝国憲法について書いて

 

みます。

 

大日本帝国憲法は、不平等条約改正のためヨーロッパや

 

アメリカなどに日本がいかに発展した国であるかを

 

認めてもらうことを目的にして制定したと言っていいかと

 

思います。

 

私などに言わせれば、まだまだ駄目な憲法ですが、

 

私の見解はともかく、東アジア初の憲法として、

 

1889年公布、1890年施行されます。

 

大日本帝国憲法公布、施行より前の1874年に

 

自由民権運動が活発になりその過程で私擬憲法が各地で

 

盛んにつくられました。政府はこれらの私擬憲法は検討に

 

値しないという方針を取っていたようで、

 

大日本帝国憲法を制作する過程においては私擬憲法の内容は

 

ほとんど反映されませんでした。

 

むしろ1875年讒謗率、新聞紙条例、1880年集会条例

 

を制定し国民の声と政治運動を抑えるための法律を

 

制定します。更に1887年には保安条例を制定し

 

自由民権運動家を東京の街から退去させ、これに従わない

 

者を拘束します。

 

政府の取り締まりについて書いてきましたが、政府は

 

取り締まるだけが仕事ではありません。

 

1876年には明治天皇が元老院議長有栖川宮熾仁親王へ

 

国憲起草を命ずるの勅語を発して憲法起草を命令。

 

1881年には国会開設の勅諭が発せられ、1890年に

 

国会の開設を約束し、その組織権限などは政府が決めること

 

これ以降、議論はやめにし殊更に事変を煽る者は

 

処罰することとします。

 

この勅諭以降、憲法制定に関してはドイツ法派が主導権を

 

握ることになります。(フランスやベルギーの大陸法を

 

模範とする派もありました。)

 

大日本帝国憲法は明治天皇が率先して作ったと自負する

 

欽定憲法ですが、板垣退助はドイツ憲法の真似だと言って

 

天皇の怒りを買ったとも言われています。

 

以上、国立公文書館へ行ったことについて書いてみました。

 

私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。

https://yokosuka-gyoseishoshi.com/