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大谷翔平選手の移籍先がドジャースに決定しました。

 

10年で総額7億ドル、日本円で約1014億円

 

だそうです。どこかのテレビ局では直前にドジャース

 

でなく別の球団と契約するのではといった見解を示して

 

いましたが、結果はハズレでした。

 

ドジャースの監督もなかなかのタヌキです。

 

こんにちは!

 

今回も国立公文書館へ行ったことについて書いてみます。

 

 

↑は、日本国憲法です。

 

日本国憲法は、1946年11月3日公布、1947年

 

5月3日施行の現行憲法です。

 

「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を

 

基本原理としたとても民主的な憲法です。

 

当時の政治家、いや現在の政治家でもこれだけの民主的な

 

憲法は作れないと私は思います。

 

制定過程においてはGHQの押し付けであったことは

 

確実だと思いますが、その押し付けがとても民主的な

 

憲法になっています。

 

当時の日本の政治家が国民に対して押し付けで作る法律と

 

いえば悪名高い治安維持法のような一般市民を困らせる

 

法律です。

 

これでは日本がアメリカに勝てなかったのは当たり前だと

 

思ってしまいます。

 

それはさておき、日本政府がポツダム宣言を仕方なしに

 

受諾するとGHQは、当時の幣原内閣に憲法改正を

 

指示します。最初のうちは日本政府による自主的な憲法改正

 

を期待していますが、提示された案はどれもGHQが

 

期待したものからかけ離れたものでした。

 

ここで問題が起きます。マッカーサーの憲法改正権限

 

について極東委員会発足後は無制限ではなくなることが

 

ホイットニーにより指摘されます。

 

これに危機感をマッカーサーは持ったためか、それまで

 

憲法改正に関して日本人の自主性に任せていた方針を急遽

 

転換し、マッカーサー草案を日本政府に提示します。

 

ホイットニーらが吉田首相のいる首相官邸を訪れた際、

 

官邸上空付近にB29を飛ばし、受け入れるよう強く迫った

 

といわれています。

 

また受け入れないなら天皇を軍事裁判にかけるといった

 

発言もその場であったとされています。

 

結局、日本政府は多少抵抗したもののマッカーサー草案の

 

受け入れを決定し、細かい修正を行いながら大日本帝国憲法

 

の改正という形をとりつつ日本国憲法の交付、施行と

 

なります。

 

以上、国立国会書館に行ったことについて書いて

 

みました。

 

私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。

https://yokosuka-gyoseishoshi.com/