ブログ村に参加しています。ぽちっと押していただけると
うれしいです。
日米韓首脳会談がキャンプデービッドで行われました。
3か国連携をアピールしたのだと思いますが、
今はそれでいいのでしょう。しかし韓国の政権が代わって
しまえば、また前のようになってしまうと思います。
こんにちは!
今回は国立公文書館へ行ったことについて書いてみます。
国立公文書館は、明治時代から現在までの重要な公文書を
保存、展示している施設です。
↑は、改元の詔書の御署名原本です。
明治45年7月30日以後を大正元年とする改元が
行われました。
ということで、今回はその時の内閣総理大臣であった
西園寺公望に焦点をあてたいと思います。
西園寺公望は、1849年京都に生まれた公家であり
政治家です。徳大寺家の生まれであったのですが、
西園寺師季の養子となり、2才の時に西園寺家の家督を
相続をしています。
その後、フランスのソルボンヌ大学に留学しヨーロッパの
政治、思想、文化等を吸収したとされています。
留学は10年ほどにも及んだとされ、ヨーロッパの政治、
思想などは吸収できたのだと思いますが、それ以外にも
フランス人女性との間で放蕩の限りを尽くしたとされて
います。このことが原因かはわかりませんが、このころ
政府は公費留学生削減の方針を決めています。
留学期間10年を終え、日本に戻るとお仕事に精を出し
ます。日本史の教科書にも出てくる人物ですので
いろいろなことをしているのですが、基本的には伊藤博文の
下で政策の話をしたりして交友を深め、伊藤が旗揚げした
立憲政友会に西園寺も名を連ねるなど伊藤の子分としての
働きが目立ちます。
また西園寺は最後の元老であり、実質的に次の総理大臣を
決定していました。ただ昭和に入って軍部の発言力が
強くなってくると、時には自分の発言により命を狙われ
かねない状況も出てきて、当時静岡の坐漁荘にいることが
多かった西園寺警備の警官も増やされました。
以上、国立公文書館へ行ったことについて書いて
みました。
私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。

