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最近は梅雨に入ったのか、あけたのかわかりにくくなって

 

いるように思います。

 

さて安倍元総理大臣が銃撃されてから1年が経ちましたが、

 

未だに最大派閥をまとめ上げる人は現れないようです。

 

岸田首相にとっては、その方が都合がいいのだとか。

 

こんにちは!

 

今回も、外務省外交史料館へ行ったことについて

 

書いてみます。

 

 

↑は、1844年、紀伊国出身の陸奥宗光です。

 

父親が歴史家であり国学者であったためその影響を受け

 

自身も尊王攘夷運動の考え方が色濃くなります。

 

父親は紀州藩において勘定奉行として財政再建に努めた

 

人でしたが、財政再建を強く推し進めるということは

 

今まで甘い蜜を吸ってきた人たちから煙たがられることに

 

なったため、失脚し金銭的にも困窮します。

 

1863年の幕末の混乱期に勝海舟は神戸海軍操練所を

 

つくり(初代塾頭、坂本龍馬)そこで学んだのが陸奥宗光。

 

以後勝海舟、坂本龍馬と深い関係を築きます。

 

陸奥宗睦を歴史上の重要な人物に押し上げたのは、やはり

 

第2時伊藤博文内閣時に外務大臣に任命され、

 

その時英国との間で念願だった不平等条約の改正に成功

 

したことではないでしょうか。

 

この時は領事裁判権の撤廃のみでしたが、イギリスとの間で

 

不平等条約改正に成功したため、その後アメリカ、ドイツ、

 

イタリア、フランスとの間でもスムーズに領事裁判権の

 

撤廃に成功します。

 

勢いついた日本はすぐに清と戦争を始めイギリスとの

 

協調路線で外交を推し進めていきます。

 

ただこのころすでに陸奥は調子が悪く日本やハワイで

 

療養生活を送っていましたが、1897年に亡くなります。

 

原因は肺結核でした。

 

以上、外務省外交史料館へ行ったことについて書いて

 

みました。

 

私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。

https://yokosuka-gyoseishoshi.com/