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ワグネルのプリゴジン氏の反乱のニュースが衝撃的だった

 

ので、私の興味はロシアに向いていました。

 

それはそれでいいのですが、いつの間にやらウクライナは

 

年内にでも停戦交渉を始める気でいるようです。

 

そろそろ終わりが見えてきたのでしょうか?

 

こんにちは!

 

今回も、外務省外交史料館へ行ったことについて

 

書いてみます。

 

 

↑は、榎本武揚です。

 

1836年、江戸で幕臣榎本武規の子として生まれます。

 

昌平坂学問所、長崎海軍伝習所で学ぶが、昌平坂学問所での

 

成績はあまりよくなかったとのことです。

 

長崎海軍伝習所においては、カッテンディーケやポンぺから

 

化学や機関学を学びます。

 

1861年、幕府はアメリカに榎本や西周らを留学させる

 

ことを決定し、蒸気軍艦3隻の発注もアメリカにします。

 

しかしアメリカでは南北戦争の真っただ中であったため

 

軍艦建造に難色を示しました。

 

なので軍艦発注はオランダに変更、1隻とし、榎本らの

 

留学先もオランダに変更となります。

 

留学先のオランダでは、海軍伝習所時代の

 

カッテンディーケやポンぺのお世話になり、船舶運用術や

 

砲術などを学びます。1866年、発注した軍艦開陽丸が

 

完成し、榎本ら留学生を乗せ翌1867年3月横浜港に

 

到着します。

 

1867年末には大政奉還、江戸城無血開城となりますが、

 

新政府軍が求めていた軍艦の引き渡しを榎本は拒否します。

 

そのため箱館五稜郭で新政府軍と激しい戦闘になり

 

榎本は降伏します。

 

この事件により榎本は投獄生活を送りますが、黒田清隆の

 

助けにより特赦となり出獄します。

 

その後は、北海道開拓を命じられたり、樺太千島交換条約を

 

結んだりします。

 

1900年には出獄時に助けてもらった黒田清隆の死もあり

 

1905年73歳で生涯を閉じます。

 

以上、外務省外交史料館へ行ったことについて書いて

 

みました。

 

私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。

https://yokosuka-gyoseishoshi.com/