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岸田内閣の支持率が下がっているようです。

 

理由は岸田首相の息子さんの問題や、マイナンバーカード

 

の問題だそうです。

 

政治の世界は一寸先は闇と言われていますので

 

まだまだ問題が出てきそうです。

 

こんにちは!

 

今回も、外務省外交史料館へ行ったことについて

 

書いてみます。

 

 

↑は、1940年に結ばれた日独伊三国同盟です。

 

以前に結ばれた日独防共協定、日独伊防共協定では

 

詰め切れていなかった日本、ドイツ、イタリアの間での

 

協調関係が具現化されました。

 

ドイツは第1次世界大戦で敗戦国となりましたので

 

植民地はすべて没収され、日本、イタリアにおいても

 

1920年代後半の恐慌のあおりを受け、大変苦しい

 

状況となっていました。この状況を打開するためには

 

領土拡大だと考えるのが、この当時の一般的な考え方

 

だったようです。

 

日本としては、日中戦争に手を焼き戦費も莫大なものと

 

なり、中華民国を支援するアメリカ、イギリスに

 

対抗するために何らかの手を打たなければならないとの

 

事情がありました。

 

ドイツでは、ヨーロッパでの戦いにおいてアメリカが

 

イギリスにつくなら、アメリカはドイツと日本の両方を

 

敵に回すことになるため、イギリスへの肩入れをさせない

 

ようにしたいとの事情がありました。

 

イタリアでは、イギリス、フランスの警告を無視しての

 

エチオピア侵攻により国際連盟を脱退せざるをえず、

 

国際的な孤立の道を歩み始めていました。

 

そんな状況下の1940年にフランスが白旗を上げ一時的に

 

ドイツ優勢の情報が日本に伝わると、ドイツ、イタリアと

 

同盟を結ぼうとする機運が高まりました。

 

こうしてドイツ、日本、イタリアの3者の利害が

 

一致して結ばれたのが日独伊三国同盟です。

 

海軍大学の図上の演習において日本はアメリカと戦争を

 

するといつも負けていたのですが、そんなことお構いなし、

 

神風でも吹くと考えたのでしょうか? この同盟を契機と

 

してアメリカとの全面戦争に突入します。

 

以上、外務省外交史料館へ行ったことについて書いて

 

みました。

 

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https://yokosuka-gyoseishoshi.com/