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うれしいです。
新型コロナウイルスの感染症上の分類が、2類から5類に
変更になりインフルエンザと同じ扱いになりました。
外出制限がかかったため、不便な生活を送らなければならず
困ったことも多くありました。
しかし悪いことばかりではなく、手洗い、マスク、消毒など
により風邪をひきにくくなりました。
連休も終わりましたので、遊びモードからお仕事モードに
切り替えて頑張っていきたいと思います。
こんにちは!
今回も、外務省外交史料館へ行ったことについて
書いてみます。
↑は、昭和35年に岸信介総理大臣をはじめとする
全権委任団がアメリカのワシントンに渡り結ばれた
日米安全保障条約です。近くアイゼンハワー大統領
訪日も予定されていて、大統領訪日予定日までに
この条約を批准して手土産を渡したいと考えた
のでしょうか、衆議院の優越を利用しての
ぎりぎりの承認となります。
その間、国会内では日本社会党など野党が猛反発の姿勢を
示し、国会の外でも安保条約反対運動がエスカレート
しました。
そんな日本国内の危険な状況を察知したため、アイゼン
ハワー大統領の訪日は結局取りやめになります。
この条約は、最終的に昭和35年6月23日条約が発効し
それと引き換えに岸内閣は退陣となります。
もともとは日本が再びアメリカの脅威とならないよう
監視していくことがこの条約締結の目的だったのだと
思いますが、次第に共産主義諸国に対する防波堤の役割も
果たすようになり、日米同盟の根幹となる重要な条約と
なります。
以上、外務省外交史料館へ行ったことについて書いて
みました。
私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。