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うれしいです。
ガソリンの価格が高騰しています。私の記憶では2000年初めは
一番安い時でレギュラーガソリン1リットル88円という時が
ありました。こうも高くなってくると、もう車は電気自動車に
しなければならないのでしょうか。
こんにちは!
今回は、東京都世田谷区粕谷にある蘆花恒春園へ行ったことに
ついて書いてみます。
蘆花恒春園は1907年から20年間徳冨蘆花が夫人とともに
住んでいたところです。
↑のお墓は蘆花恒春園にある徳冨蘆花のものです。
徳冨蘆花は1868年肥後国、現在の熊本県水俣市生まれの
小説家で、みなさまも一度は聞いたことがあると思う徳富蘇峰は
蘆花の兄です。徳冨蘆花のことを書くときに絶対に外せないのは
やはりデビュー作の「不如帰」だと思います。
まず「不如帰」は何と読むのでしょうか?
現在では、「ほととぎす」と言われていますが、筆者の蘆花は
「ふじょき」と言っていたそうです。ちなみに私は「ふにょき」と
言っていました。(笑)
主人公 片岡浪子は川島武男と結婚して幸せな生活を送って
いましたが、体の調子は悪く結核であることがわかります。
そこへ姑などが画策し武男が留守の間に結核を理由として
離婚させます。この当時、結核は不治の病で伝染しますので
家が滅びるとされ大変だったようです。
よく考えたら現在もコロナで似たような状況になっていると
思います。コロナになったから離婚するなどという話は今のところ
聞いたことありませんが、隔離するというのはこの当時も今も
変わっていません。
さて浪子も療養するなどして調子がよくなるよう努めますが、
その甲斐もなく次第に病状も悪化していき
「ああ!つらい!つらい!もう婦人などに生まれはしませんよ」と
言いながら亡くなっていきます。
というのが、かなり大まかなあらすじです。
この小説は、1898年から兄が徳富蘇峰が経営する国民新聞に
連載され、1900年には1冊の小説として出版となり、
好評を博し徳冨蘆花はベストセラー作家となります。
以上、蘆花恒春園へ行ってきたことについて書いてみました。
私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。
