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3月21日で首都圏に出ていた緊急事態宣言もついに解除の
運びとなりました。感染者数も減少したためいつまでも続けて
いるわけにはいかないので解除に踏み切ったのでしょうが、
再び緊急事態宣言が出されるのは確実だと予想している人が
多いこんな状況で解除しても本当に大丈夫なのでしょうか。
こんにちは!
今回は、都営三田線 御成門駅から10分くらい歩いた場所に
ある栄閑院へ行ってきました。栄閑院は江戸時代初期の頃に
創建された寺院です。やはりこの寺院は江戸時代の蘭学医
杉田玄白のお墓があるということで有名だと思います。↓
杉田玄白は、1733年江戸の牛込で生まれます。
父親の杉田甫仙が小浜藩医であったことから父親と同じ
小浜藩医の道を歩みます。ここまでなら杉田玄白も父親同様に
後世に語り継がれることのない普通のお医者様で終わって
しまったのでしょう。
しかし1771年中川淳庵がオランダ商館院から借りた
ドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスが書いた「ターヘル・アナト
ミア」という医学書をもって玄白のもとを訪れた時から医学の
歴史が大きく動き出します。
その当時は内臓全体を表すとき五臓六腑という言葉を使って
表現されていました。しかし、「ターヘル・アナトミア」の中の
人体解剖図をみて玄白は衝撃を受けます。それまで信じられて
きた五臓六腑とはかなりの部分が異なっていたからです。
そこでこの「ターヘル・アナトミア」を購入したいと考えますが、
かなり高価だったようでそんなに簡単に手に入れることができず、
藩に相談してお金を出してもらって購入します。
そして、現在の荒川区南千住にあった小塚原刑場で
実際に死体の解剖を見学します。そこでターヘル・アナトミアの
正確さを改めて実感することになり前野良沢、中川淳庵とともに
翻訳作業にかかります。翻訳作業はずいぶん難航したそうですが
ついに1774年「解体新書」が刊行されます。
でもよくよく考えると昔は現在のような人権などないに等しい時代
だったでしょうから、人体解剖などやろうと思えばいくらでもやれた
ように思います。それでも中国古来からの事実と異なることの
多かった五臓六腑がずっと信じられてきた。
これはいったいどういうことなのでしょう?
最後に御朱印です。
以上、栄閑院へ行ったことについて書いてみました。
私のホームページアドレスです。よろしくお願いいたします。

