7/3に手術が終わり、息子は経過順調。
7/15、16には術後初の外泊へ。
移植から手術までの、息詰まるような緊迫感のあった外泊とは異なり、それは、大きな山を越えた感覚のある、とても晴れ晴れとした外泊だった。
(もちろん、まだまだ血球は低く、感染は要注意だったけれど)
入院以来、初めて夫の実家を訪ねたり、電車を観に車で少し遠出したり。
あと少しで治療が終わるんだ、と、トンネルの出口が見えた気がしていた。
放射線治療については、おそらく移植前の(記憶が曖昧です💦)タイミングで一度説明を受けた。
それは、今の病院で通常の放射線治療を受けるか、あるいは「陽子線」の治療を受けるために転院するか、選べますとのことだった。
通常の放射線は突き抜けるものだが、陽子線は照射の範囲を限定できる。
息子の場合は、陽子線を選ぶと肝臓の合併症のリスクを、もしかしたら少し減らせるかもしれない。
ただそれは、数字で明らかになっているような違いではない。どちらを選んでも良いとの話だった。
夫と話し、今の病院で、通常の放射線治療をすると決めた。
息子の場合、陽子線に明らかなメリットがあると言い切れないこと、また、今の病院の環境になじみ、CLS(チャイルドライフスペシャリスト)さんが照射を受ける練習をしてくれるなど、サポートが整っていることも大きかった。
手術後、説明を改めて受けた。
放射線についても、私はまたシロウトの気楽さで、最初は手術で摘出した小さな腫瘍の範囲だけ、照射すれば良いのかと考えていた。
でもそんなことはなく、背骨を含む、見つかった当初の腫瘍の大きさの範囲に当てる必要があること。
様々な合併症の可能性があること。
背骨に放射線が当たるので、その部分は伸びず、低身長になること。
きっと私は「息子の背が自分を追い抜く」という経験は、出来ないのかもしれないなぁ…と、ボンヤリした寂しさをかみしめた。
そんな気持ちは、主治医にはお見通しで、
「治療をしたから小さくなってしまう…というのではなく、それだけの治療をよく頑張ったのだ、と思ってあげて下さい」
と言葉が添えられた。
ハッとして、そうだな、と思い直した。
主治医に尋ねることはなかったけれど、時折、病気が分かって、もし仮に治療をしないと決めた場合、私はどれくらい息子と共に過ごせたのだろうと思いを馳せることがあった(実は、今も…)。
あの冷え切った12月から、もしかしたら、春の桜を一緒に見ることも叶わなかったかもしれない。
そう思うと、ここまで来られたことに感謝しかなかった。
あらゆる痛みは痛みとして存在するとして、でも息子の命があり、笑顔があることにかけがえはなかった。
息子の放射線の回数は11回、総量は19.8gy(グレイ)と決まった。
CLSさんのサポートのおかげもあり、全ては順調に進んでいった。
(また次回に…)
