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昨日の夜の帰り道。

一日中細かい数字の書類と図面とパソコンのディスプレイをいったりきたり凝視して疲れきった眼をなんとかしたいと、眼鏡を外したまま自転車に乗りました。

ヒンヤリした夜風、前がよく見えない恐怖感から出せないスピード、視界に散りばめられたカラフルなクンショウモのような光。

少しすっきりしてきた頭で、「そうだ、この景色を撮っておこう」と思いつくも、この打ち上げ花火のような壊れた光の景色は視力0.2乱視付きの自分だけの景色だと気付き、出しかけた携帯を仕舞う…。


次の信号待ち、はた、と思い立って、結局携帯のシャッターを押す。




自転車を漕ぎながら、おおげさにも命=魂とは何か、を漠然と考える。

肉体は単なる「うつわ」で、それに魂が乗っかっているだけなのではないか、という意識が、ずーっとあって、魂はあの世とこの世を往復しており、車を選ぶみたいに自分の魂をのせる「うつわ」を選んで、それに魂を乗せて、われわれはこの世にいる。

外界と魂の間をフィルターのように遮断する「うつわ」が違うから、同じ景色も人によって見え方が違う。

自分の見ている世界を他の人と共有することは、どれだけ難しい事か…。



見ている世界の共有ということだけ考えると、写真よりも絵の方が描いた人の主観を反映させやすいかな、などと考えてついたところで帰宅。




ゴールデンウイークもおわり、五月病真っ盛りの季節になりました。幸い?忙しくて五月病になっている暇もないわたくし海苔丸でございます。