のりまきはしんしんと深水に沈んでいく。ホログラフィックな現在進行形の現象を変えるにはのりまきの深部に行き内面を変えていく。


皆天国に住むか、地獄をさ迷うかは自分で決めている。自分を愛すると宇宙は愛で答える。地獄を選んでもすべては宇宙の愛の中にいる。


生前の自分の計画書が存在し、その双六をクリアするか振り出しにもどるかは自分次第。いと高きところからそれとなく与えられる道標。


金峯山寺への道すがら、罔象女神が微笑んだ。皐月朔日は女神の氣配含みで、傘を忘れて全身しっとり潤いまくる。


拝所でゴモゴモ祝詞を唱えているとお隣で祝詞を唱えはじめた初老の男性の美声に心の濁りも流れさり、透き通った清流となる。


丹生川上神社中社の川の合流地点に御瀧があり吊り橋をわたり拝殿で頂いた玉を投げ入れる。

のりまきは瀧壺に沈みゆっくり浮き上がる。


すると川と川が出会う辺りに渦が生まれていて水泡がゆっくりと円を描いて流れ来る。罔象女神が生まれ消えるが如く。


のりまきは無意志氣に話す。「やっぱ水ですよね」水晶のように水は記憶している。水の転生は海を経て空、雲、雨、地、川に至る。


途中で植物を潤し、あらゆる動物を潤し、のりまきの汗となり涙となり、血肉を浄化し、やがて排出されまた海に至る。


地球上に住む人々の悲喜交交の記憶を内包し、塩分で浄化され、氣化して空を漂いながら記憶を辿り雲となり涙のように降りそそぐ。


あらゆる人々の体内での記憶を転写した水であり、渇きを癒す恵みの水として、のりまきは罔象女神を拝す。


空気のように人々の体内を通り抜け、重い波動の人にもそれなりに、高い波動の人には相乗効果により祓われ浄められる。


神野々の金水は甘露。お国によってその性格は様々かもしれない。のりまきの飲する弘法の水はのりまきの腸管の炎症を静める。


弘法の水なのにのりまきはお礼に何故かお不動さまの真言を唱える。次回からは罔象女神さまにも感謝の心をお届けしよう。


のりまきは常に罔象女神とともに生きているのかもしれない。現象化してあらわれている身体のおおもとは常に転生している原子の塊。


何氣なく生きているようで、のりまきの身体は60㌫が水であり、川のようでもあり、湖のようでもあり、海のようでもある。


波動の法則により、人は川辺に遊ぶとその川と波動が同調し、海の波間に遊ぶと海の波動と同調し身体の内側で海を体感する。


のりまきの波動は水を含む他の生物達と同調し、大氣の水分と同調し、左脳の影響は消えて行き統合という道に分け入るのかもしれない。


罔象女神はのりまきの細胞の中から語り始め、

のりまきなのか女神なのかわからなくなり始める。身体の半分以上は水なのだ。


今のりまきの中の女神が目をさまし、その転生の記憶を語りはじめる。心を静めてゆっくりと耳を澄ます。


光に映える瀧から透明のエネルギー龍体が生まれてはまた消えるように見えるが、目にもとまらぬ動きで電子のように跳ねている。


転生の旅を繰返し極小の極みに近づきながら鍛練され、流転の中で生死を超越した有り様が罔象女神のお姿なのかもしれない。


のりまきののりまきたる由縁のプラズマがのりまきの振動数により、のりまきを現象化させながら、内に水を含蓄する。


のりまきは何処から来て

何処へいくのだろうか

罔象女神とともに生きている


唇に

カタカムナ

リズムは

A   KURIA   MATTE


水の転生のひとつがのりまき

あなたもあなたも

水のひとつの転生


殆どが水ののりまき

のりまきの記憶を持つ水

間に罔象女神