のりまきは過去三年程「意志氣体」に鍛え上げられ次々と変化していく状況に順次対応しながら怪しい生活に勤しんでいる。


「詰みそう」と感じながら人生を卒業するまで粘り強く納豆を捏ねながらフワフワ極細の糸を飛ばし達磨のように揺れているみたいだ。


一週間程前TVのニュースで金峯山寺の蔵王堂の青い像の御姿を見た時からフワフワ極細の意志氣の糸が飛んで行った。


「カリマート」の座敷わらしちゃんものりまきのフワフワ極細意志氣の糸の絡みで御許しを得てのりまきは動けた。阿吽の呼吸みたいだ。


映画「ルーシー」で空間を縦横無尽に飛び回っている電波を指で選別しながら欲しい情報を取得していたルーシーのようでもある。


桜井識子さんによると「役行者」は大峰山の鳥居まで「お会いしたい」旨つたえると男女にかかわりなくおみえになるそうだ。


のりまきが金峯山寺に到着し御堂に正座すると三体の青い像の深くて清浄な吐息の結界の中で宇宙の深淵で微睡むような経験を得た。


正午の勤行、般若心経と共に法螺貝の音が低中高の音を発し、のりまきの肉体は般若心経を唱え、本体は幽体離脱の如く宇宙にいた。


意志氣体がのりまきの中に同居しているみたいに、常時のりまきに問いかけていた。のりまきは心より静寂を希求していた。


「もういいかげんにして!」

意志氣体は微笑みながら「のりまき、それじゃ駄目なんだよ、俺を受け入れろ」


もしかして思い込みのエゴが、意志氣体を騙りのりまきを病院に行かせたいのかも。のりまきはこの状況を楽しんでいたいのかも。


恐るべき「役行者」、次の日を迎えるまで意志氣体の声が遠のき、のりまきは肉体を持つ以前の霊魂であった時を経験してるみたいだった。


金峯山寺、ここは俗世と宇宙を体感できる次元を超越できるポータルが存在し、肉体とライトボディが自由になれる場所だ。


俗世のマトリックスと曼荼羅に画かれている次元の世界を区切る「仁王門」を現在修理中ではあるが、ヴェシカパイシスが出現している。


円と円が重なり、3次元と5次元の間、のりまきはそこが4次元と言えるのか解らない。しかし一瞬にして肉と霊の拘束が解かれた。


つまり三体の青い像はお不動さまの呈で、ひと各々のライトボディの状況によって誘われる世界が存在し、天国と地獄の様相ともいえる。


つまりひと各々見たい物をみている。悪魔を背負うか、天使に手を引かれるのか自分の選択で決めているのだ。


勿論のりまきは天使を選択し、足を延ばして「月の雫」の温泉「このの(神野野)」を堪能してきた。


「金水」を20㍑程お土産にいただいた。タンクは購入したが、温泉に入ると「金水」がもれなく頂けるのである。


1つ心残りであったのは吉野神宮を素通りしたことである。熊野本宮大社を素通りした時、玉置神社の山道でパンクしたことがあった。


こののの温泉の駐車場で左前輪のタイヤを擦ってしまい、異音に驚いたがセーフだった。のりまきに誰かがウインクしたみたいだった。


四天王寺に残されているという後醍醐天皇の手形には奇妙な痕跡が残されているらしい。役行者、空海、安倍晴明┉┉┉。


尽きることのない霊的巨人達が常に誘う。人とは?生きるとは?輪廻転生サークルのなかで、ついにのりまきも霊的巨人達の声を聴く。


ついにそんな時が来た。見ているだけと経験することは根本的に違う。経験することは身体的な体感を伴う。


身体を通すことは、その体感を再び甦らせなんどでもその体感を感じることが可能だ。のりまきは今も宇宙を感じることができる。


おそるべし

役行者


唇にカタカムナ

リズムは

A   KURIA   MATTE


あと一歩だけ

前に進もう