今のりまきは仁柿にある弘法大師の「水」に夢中である。月一程度は汲みに行き、高野山の奥墓でのことを思いだすのである。
以前の水は奈良県曽禰村で汲んでいたが、その途中三重県と奈良県の境に通じる道すがら、二匹の兎に出会っていた。
何故そこに体長2メートル弱の兎が立っているのかわからないのであるが、何か意味があるのかもしれない。
さて仁柿の道すがら何かが製作中であるのは知っていたが今日やっと出来上がったお姿を拝見し、今の時代にピッタリだと思った。
ご登場ねがおう
のりまきは「ウインク」してると思う。
途中経過の記録も添えておこう。
初回の水汲みの折から何故どうして製作されているのかわからなかった。
この「カエルさま」世の中を変える為に出現され、のりまきもその主旨に大賛同し、お賽銭箱にシルバーを入れた。
同じ思いの人が沢山おられる音がした。
カエルさまは神さまの御遣いである。
愈愈、視聴中の「映画」も終りを迎えようとしているらしい。のりまきが「ホワイトハット」を知ってから三年が経過した。
一度は通りすぎなければならない「脱皮」は、明治維新を通り過ぎた日本人であるなら、出来ない訳ないと思う。
メドベッドやアークのこと等、黒船が来たとき「見えない人」がいた事を考えると、やはり波動の高低が分れ目になるのだろう。
エレナ・ダナンさんの週間宇宙ニュースは三回目で、メドベットは月で製造中であったが、どうやらそれが地球に運ばれ始めたようだ。
最近霊氣の辻会長さんが「宇宙人」「メドベット」などの事を八咫烏関係者や桁違いの経済界の「口」から聞いたらしい。
温暖化ではなく「地軸の移動」の影響が計り知れないが、火山の噴火などを小規模に出来る宇宙の技術(UFO)も存在を知っている。
のりまきは確信している。沈んだ日本と運命を供にした人もいれば、沈まなかった日本のパラレルを選択したのりまき。
何気なく選んだお仕事は実は目的の最短距離を歩いている、高野山の奥墓で空海さんがお示しになったショートカットだと思っている。
弓を射る過程の一つ一つの動作、茶の湯を嗜む動作、無駄のない必要最低限の動作であり、各所作はその流れの中に自と最善美が出現する。
射るという行為のみではなく、その過程を各自の異なる丈でそれなりの所作を創造しながら現象化すると、的と矢がお互いに歩みよる。
のりまきがこの世に生をうけ、のりまきと言うDNAを持つ身体を選択し、宇宙の大きな愛を糧とし、的である死に日々近づいてゆく。
のりまきの身体は一本の矢となる。または一服のお茶となる。有名な器が壊れればなかのお茶はライトボディ、意志氣となり元にもどる。
ドラゴンとなり、渦巻いて力を蓄えやがて翔び立つ。つまり内破し自由を得るわけである。ここから先は意志氣の領域である。
かの詩人は実際はブローニュの森を精神ではなく意志氣の狩猟として彷徨っていた。ナジャはパリの街を彷徨っていた。
のりまきの身体の中に残っている意志氣体のグミのような味が残り香となる。微妙だが雷が近くにいる地面の香りに似ている。
のりまきは毎瞬パラレルを移動しながら、ハイヤーセルフに手綱を握られ、最高の近道を自ずと進んでいるつもりだが、さてどうかな。
リズムは
A KURIA MATTE
唇はカタカムナ