このひと月ほどのりまきは名称に鬼の付く会社でアルバイトしていた。なまっている筋肉に活をいれ日に25から30キロ位歩いちゃった。


この年齢で週五日はきつかったが、プヨプヨの筋肉はすこしモチモチになった。この半年程地に足がつかずフワフワだった。


そして若い頃京都探索しながら二度も千日行を成し遂げた酒井大阿闍梨のお数珠で頭をなでなでして頂いた事を思いだした。


20代の頃、あてもなく小路を歩き、その地の人達が道ベリにしゃがんで何かを待っている。のりまきも知らぬまま最後尾にしゃがむ。


向こうの方から墨染めの着物に笠の阿闍梨が一人一人にお数珠でチョンチョンしながら近付いてくる。皆頭を垂れている。


のりまきは皆と同じように手を合わせ頭を垂れながらもチラチラ僧のお顔を垣間見、知らずに大阿闍梨と一期一会の機会を賜ったのである。


後になってあの僧は酒井大阿闍梨であったことを知るが、千日行とは雲泥の差ではあるにしろ日日長距離を歩くのはグランディングだ。


フワフワののりまきにローアーセルフがおんぶお化けして、グランディングの長距離競歩。何というお膳立て、何というお導き。


のりまきも未だこの弛みたくった身体にこれだけの力が漲っていることを知ると同時に、この行為がもたらした変化に驚いた。


昨年意志氣体に出逢い、臀部の上、丁度丹田の真裏辺りを土筆の頭のようなエネルギーがモアモアしていた。


そのモアモアはアナハタ辺りまで上昇するのだがその辺りにある半歩で立ち消えになってモヤモヤがつのっていた。


しかしこのバイトて死にそうになりながら忘れていた背中のモアモアは二月に入ってからあっというまに百会に達した。


そののち第二次のモアモア、第三次のモアモアとどんどん上昇し始めている。のりまきは少し期待外れだった。


これが興るとアジナが開くと思っていた。しかしある種の光が一瞬見えたような氣がするのみのまま。まあ人それぞれなのかも知れないが。


だが確実に変化したものもある。ゆるがないのだ。一瞬ブレはするもののすぐに芯に戻る。そして必要な情報を呼び寄せ、手に入れる。


道ができ始め、今しなければならないことを沢山の選択肢のなかからえらび、まるでハイヤーセルフの声を聞いているみたいだ。


そして今日は頭脳の後頭部辺りに急に震動がはしり全身に悪寒が流れて血管でも切れちゃったかと思ったがどこも 麻痺しておりませぬ。


変態していくのりまき

地球とともに次元上昇していくのりまき

ワクワクとハイなのりまき

アップデイトしまくるのりまき

のりまきの太巻き

恐れを知らぬのりまき

意識体も何処吹く風になっちゃって

平常心なのにやっちゃえののりまき

また楽しからずや