こんにちは

コンテスタントディレクター

La fenice sensual

八田典子です





🔹Mrs.Ms.Earth Japan2019日本大会ファイナリスト

🔹Mrs.Ms.Earth Japan2020東海大会統括

🔹Mrs. of the year 2020 ビューティーキャンプ講師


現在…

Virgelia Japan executive manager



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今日は30代の話です











30代・・
試練、試練、試練、の時代です







20代の幸せな時代から、一気に試練へ
29歳の時に結婚(親に大反対を受け・・)




その年に子供・・長男を授かりました


妊娠初期、とてもお腹が張って張って
初めての妊娠でしたので
こんなものなのかなぁ、って思っていました




5ヶ月後半になってからでしょうか
嫌な予感というか、
母親の勘といいますか・・
個人病院から大学病院へ移り
診察を受けにいきました




診察の結果
先生がおっしゃった言葉は

「お腹の赤ちゃんは障害をもって
産まれてくる確率が高いと思われます


6ヶ月に入りますので・・・
このままお母さんのお腹の中で・・・
そして出産をむかえましょう


ただ…出産されても
2週間、3週間…もつかどうか・・・」

 

 

今から、35年前

初めての妊娠で

谷底に突き落とされたような

ドクターの声が悪魔の囁きにも

聞こえました






目の前が真っ暗になり

涙が止まらず
病院から自宅へどうやって帰ったのか
記憶がなく

その時間だけが

空白です




人生初の

厳しい山を登っていく

ターニングポイントでした




妊娠中、
「お母さんがついているから
何があっても頑張ろうね」と

お腹をさすり
自分で自分を勇気づけ
赤ちゃんにも声をかけていました




お産は微弱陣痛が3日間続き

4日目の朝

帝王切開で出産となり、
仮死状態で長男は産まれてきました













すぐにNICU(新生児集中治療室)
へ連れていかれ人工呼吸器を
装着された生活がはじまりました





出産後・・帝王切開の術後の痛みと
(今から35年前になりますので、
現在と術後の状況が多少異なっているとおもいます)




病室から聞こえてくる
他の方の赤ちゃんの泣き声が
私には・・恨めしく、悲しくて
たまりませんでした



我が子を抱けない悲しみ

病室から聞こえてくる

他の方の赤ちゃんの鳴き声で

胸が張り

 

 

でも

オッパイを飲ますこともできず




「どうして、
私の赤ちゃんだけが・・
どうして、どうして・・・!」




この時、「死」という
悪魔の囁きがいつも私の耳の奥で

鈍く聞こえていました






私が退院してからも、
街で同じ月齢の赤ちゃんを見かけるたびに
辛くて、悲しくて・・・
恨めしく・・


そして憎らしく



このことが夢であってほしい

と何回も何回も思いました

 

 



現実に起きている状況
これから起こるであろう状況
受け入れることが
中々できませんでした










初めての我が子が障害を持って
生まれてきたことは
私の試練ではなく、
神様がくれた私へのプレゼント、と
思えるようなったのは・・・
半年以上経ってからのことでした





二年後、女の子を無事出産
そして、次女を無事出産。





ちょうどその頃から、
子育ての価値観の違いや
生活観、衣食住、将来のことで夫と
すべてにおいてズレが
生じてきました




もちろん、何度も何度も
話し合いましたが
回数を重ねるごとに
夫婦仲がぎくしゃくし




喧嘩も口論から

エスカレートし

夫からDVを受けるように





子供のため
と真剣に時間をかけて悩みました




でも、自分の人生一度きり
「幸せだったーー」
といえる人生で終わりたい





「離婚」を決意。35歳の時です!




離婚を決意するまでの数年間、
そして離婚を決意してからの私は
自分の子供を含め
私の人生の幸せを掴むため
強い強い精神力を持って
この状況を乗り越えていく覚悟を決めました!




第2のターニングポイントです




つづく・・・