みなさんこんにちは❗️スパークジョイです。

 

 

昨日の続き、アメリカのERに運ばれた話です。

 

 

 

2008年にサンフランシスコの北の方にある、シャスタ山というところに行きました。

ハープ 教室で知り合ったお友達と2人で、カリフォルニアに住んでいる日本人のガイドさんにお願いして、連れていってもらいました。

 

 

とにかく空気がおいしくて、どこまでもサラッと快適な感じで、自然は清々しくご機嫌な状態でした。

ヘンだな、と思い始めたのは星が綺麗に見える丘みたいな所へ連れていってもらった時、楽しくて終始「あはははははー!」と笑っているのに、私の視界はどんどんモヤがかかっていったのでした。

 

まぁ旅先だし、興奮して寝不足気味の影響かな、くらいに思っていたのですが、夜が更けるにつれ、左目のモヤが痛みにかわり、痛みはドンドン増して私のうめき声で同室のお友達が寝れないほどになってしまいました。

 

 

 

近くのお部屋で寝ていたガイドさんも心配して来てくれ、宿主さん(B &Bでした)とも協議し、夜明けを待たずにふもとの病院のER(緊急外来)へ連れていってもらうことになりました。

 

 

 

ERではお友達とガイドさんが、必死で私の夜の様子をお医者さんに通訳してくれて、私は血液検査とか、CTとかいろんな所に車椅子で連れていかれたのを記憶しています。痛み止めと言われた点滴もほとんど効かず、アメリカでこんな事になっちゃってどうしようという思いと、それすらも吹っ飛ばすような激痛(痛んで、休んでを繰り返す状態でした)に、のたうちまわっていました。

 

 

 

私の状況を見かねたガイドさんが、知り合いのチャネラーさんに連絡してくださり、私に何が起こっているのかを見てもらったそうです。

 

 

 

「典子さんはアトランティス時代、中央のエネルギーセンターのような所で仕事をしていました。アトランティスはテクノロジーは発達したのだけれど、地球と共存するという意識が欠けていたため、文明を存続する事ができず、破滅の道を選ぶ事になりました。最後に中央のエネルギーを司る巨大な水晶が爆発し、その破片が典子さんの左目に刺さっています」

 

 

 

それが、チャネラーさんの見た私の姿だったそうです。

ガイドさんの話によると、耳元でその話をした瞬間に私の目がパッチリ開いて、痛みでうめくのをやめたそうです。

その辺のところは私はあまりわかっていません。

「いつまでこの苦しみが続くのかー、」それしか考えられなかったような気がします。

 

 

 

その後ケロッと元気になった私に、ERのお医者さんは訳がわからず、何度も何度も病院を離れるのを引き止めました。“病院を出ていくのは全て私の責任です”という誓約書を書いてやっと退院できた、というのがアメリカER体験談です。

 

 

日本に帰国して届いた請求書が、一晩のER医療費として5,000ドル弱。日本円で50万円ちょっと。クレジットカードの保険が使えて本当に良かった、と思った一件でした。

 

 

 

自分では覚えていない過去世でも、随分深い傷になっているんですね。

私は一晩ひどい思いをしましたけど、お友達やガイドさんや宿主さん、見てくれたチャネラーさん、ERのドクター、親身になって世話してくれた看護士さん達、みんなに護られてちゃんと復活する事ができました。

 

そして左目の激痛は、日本の病院をいくつかまわった数年後に、ベーチェット病の眼発作だったということがわかりました。

 

 

 

今は定期的に通っている眼科と口腔外科のみなさんのおかげで、口の中の炎症も目の炎症も最低限で過ごせています。

 

 

 

 

シャスタ山、また行ける日が来るのかな?

 

新しく軽くなった私が呼ばれることがあったら、また行ってみたいものです。

 

追記

しまった、書き忘れた!

それではみなさま本日も

Have a good day❗️😘

 

(※シャスタ山の写真がないので、カバー写真は鞍馬寺です)