お空が祝ってくれた
今日は私の誕生日
🎂
私が母のお腹にいる時
約3ヶ月強
父は昇進を目指して
単身赴任
母の予定日が
父の単身赴任の任期
が
終わるか否か
微妙な時期
留守中に出産したならば
男であれば 修(おさむ)
女なら○○子
と
名前を決めて
千葉県
へ
単身赴任に家を出た
昇進の手形を手に
父が帰った当日
親戚や会社の人々が集まり
祝賀会の催し
なんと
私
その夜
オギャって
産声をあげて誕生
✨✨
予定通り
○○子
と
命名される
男だったら
あの
林先生と同じ名前
もしかして
天才になっていたかもね
なんちゃって
笑笑
😉✨
さて
母が産気付いたのは
父の祝賀会もお開きになった
夜
父はお酒でベロベロ
羽咋の父方の祖母は
映画を観に行っていた
夜道
お産婆さんを
呼びに行った
のは
9歳と5歳
の
姉2人
当時
家の前の路地は砂利道
街灯もない真っ暗な道
その先は
車が走る
大通り
姉2人は手を繋いで
お産婆さんを呼びに行った
誕生日毎に
姉2人から
耳タコ
恩着せがましく
聞かされていた
母は痛いお腹をさすりながら
自力で竈にお湯を沸かし
産湯をこしらえていたと
最近 聞いた
私の産声は
夜の11時頃
だった
と
かなり
いい加減な
記憶で母が言ってた
今は
遠い昔話
64年前
私の誕生劇
・
・
・
お誕生日と結婚記念日
等のお祝いは一切しない
我が家
😉✨
誕生日の前日
一人カラオケを
楽しみました
お聞き苦しい
お歌
十秒前後
勇気のある方は
自己責任で
お聞きください
《時代》
別れと出会いを繰り返し今に至る
《愛あればこそ》
いつもありがとうございます
では
また
See you...🌹