詩
さ霧消ゆる湊江の
舟に白し、朝の霜。
ただ水鳥の聲はして
いまだ覚めず岸の家。
烏啼きて木に高く、
人は畑に麦を踏む。
げに小春日ののどけしや。
かへり咲の花も見ゆ。
嵐吹きて雲は落ち、
時雨降りて日は暮れぬ。
若し燈火の漏れ來ずば、
それと分かじ、野邊の里。
『尋常小学唱歌』より (本来はすべての漢字にルビあり)
詩の意味
1番
港の早朝の風景。
霧が消えて初冬を迎えた港の早朝、舟にはうっすらと白い霜が付いて、水鳥のピーってなく声だけが聞こえてくる風景です。
「未だ覚めず岸の家」、というのですから、岸の家々はまだ誰も起き出していないのですね。港の朝は早いでしょうから、何時頃を想像しましょうか・・・。
3時過ぎとか4時って感じかしら・・・。
「さ霧」は霧の美称。
季語では<きりは秋>、<かすみは春>と分類されていることから、霧が消えて初冬をむかえた港の風景の意味。
ただ、朝の霧が晴れてきて舟に付いた霜が白く見える、とさらりと解釈することもできますが、2番にも3番にも冬の季語(小春・時雨)が入っているので、一番の<きり>も季語として解釈した方がいいかなと思います。
2番
人家や畑のある風景です。
小春日和の暖かい日に、麦を踏んでいる人たちや返り咲いている花も見えるというのどかな風景です。
「小春日」の小春とは、陰暦の10月(現11月下旬~12月上旬にあたる)の異称で、小春日和は、冬の初め頃の暖かい日のこと。
「かへり咲」とは、季節が過ぎたのに再び花を咲かせることで、小春日和の暖かさに咲かせた花のこと。
「げに」は、まことに、という意味。
3番
村というか、野辺の夜の風景です。
嵐が吹いて、黒雲が立ちこめ、時雨が降って、あたりは真っ暗です。
人家の窓から明りがチラチラゆらゆらともれてこなかったら、ここが野辺とはわからないくらい真っ暗だというのです。
「時雨」は、秋の終り頃から冬にかけて、通り雨のように降ったり止んだりする雨のこと。
1番の「さ霧消ゆる」、2番の「小春日」、3番の「時雨」って言葉から冬の初めの頃の季語が使われていて、初冬の歌だということがわかります。
詩と曲の誕生
大正2年(1913年)、『尋常唱歌集(五)』で発表されました。
初冬の早朝の漁村、昼の田畑、夕暮れの村落の風景を歌っていますけど、場所は限定されず、日本のどこにでもあてはまるような田舎の風景を歌っています。
作詩者・作曲家はわからず
<文部省唱歌>は当時の文部省が著作権を持っていますので、作詞者・作曲者の名前は明らかにされていません。
戦後調査が始まってわかった歌に関しては発表されるようになりましたけれど、ほとんどの歌はわかっていません。
闇夜って知ってますか?
今、明りのない場所なんて都会にはありませんから、ただただ真っ暗、闇夜なんて想像できますか?
お寺にある <戒壇巡り> とか <胎内巡り> と言われているものに行かれたことはありますか?
私は2度ほどあるのですが、あれは怖かったです。まさしく恐怖体験です。
闇、とはこういう状態なんだと思いました。
すぐ前を歩いているはずの人が見えないのです。
その内自分の目がほんとに開いているのかさえ、わからなくなってしまって、おもわず手で目を触ってみたりして・・・。
1歩が前に出せない、ただただ恐怖の闇でした。
外に出たときの光のうれしかったこと。
明りはほんとにありがたいものです。
明りがありがたいと言えば、お月さまの光りに感動したことがあるのです。
ナイタースキーを楽しんだ帰り、宿まで歩く時、街灯ももちろんなくて、月の明りがこんなに明るいものなのかと驚いた思い出があるのです。
月の光だけで十分歩けましたから。
都会で見るお月さまは、空にぽっかり浮かんでいるだけの黄色いお月さま、ですけど、街灯のないところでは地上を明るく照らしてくれる光のお月さま、なんですね。
やっぱり歌曲ってすてき
の。