卯の花の 匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)

早も来鳴きて 忍音もらす 夏は来ぬ

            

さみだれの 注ぐ山田に 早乙女が

裳裾ぬらして 玉苗植うる 夏は来ぬ

            

橘の 薫る軒場の 窓近く

蛍飛びかい おこたり(いさ)むる 夏は来ぬ

            

(おうち)ちる 川べの宿の 門遠く

水鶏(くいな)声して 夕月すずしき 夏は来ぬ

            

五月闇 蛍飛びかい 水鶏鳴き

卯の花咲きて 早苗植えわたす 夏は来ぬ

 

 

 

  詩の意味と考察

1番

白くて、いい匂いのする美しい卯の花が咲き始めて、ホトトギスの声も聞こえるようになって、夏がやってきたなあ、と感じ入っているのです。

 

〇「卯の花」はウツギ(空木)の通称で、5~6月に5弁の白い花を咲かせる花。

〇「匂ふ」という古語は本来<美しい>という意味なので、真白い卯の花が眩しいほどに美しく

 咲いている様子を表しています。

 でも香るという意味もあわせもつのでいい香りで美しい白い花と解釈しましょう。

〇「時鳥」は、万葉の頃から日本人に愛されている鳥で、夏を告げる鳥。

 ただ、時鳥が枝に止まりながら鳴くことは、まず滅多になく、普通は上空を飛びながら鳴くの  

 だそうです。 

 なので、「早くも来て忍び音もらす」というのは詩人の想像の世界ですね。

<卯の花の垣根でホトトギスが鳴く> という構図は、万葉集以来用いられ、卯の花が咲いて、ホトトギスが鳴くと夏がくる、というのが、昔から夏のイメージだったようです。

 

2番

細かい霧のような雨、五月雨(さみだれ)が田んぼに降り注いでいます。

向こうの山は新緑の緑、手前の田んぼには苗が植えられていって、若草色です。

五月雨であたり一面が 緑色にけぶって見える中、田植えをする早乙女の赤いたすきや着物の裾の赤い色が色鮮やかに見える、という風景です。

 

〇「早乙女」の「さ」は、稲を表す接頭語。田植えをする女、転じて乙女、少女。

                 (さくら=「さ」が神、「くら」は座。など)

〇「裳裾」は着物の裾の古風な言い方。

〇「玉苗」の玉は、苗の美称で、稲の苗を大切に思う心が感じられます。      

3番

橘の花の、とてもいい香りがする窓辺で、螢が飛んでいます。

そして「怠りいさむる」と続くのですが、窓に螢、そして怠りなく真面目にお勉強を、お仕事を、と続くと、中国の<蛍雪の功>という古い故事を指しています。

 

<蛍雪の功>とは、貧しくて灯りにする油を買えなかった人が、蛍のあかりや雪のあかりで一生懸命勉強して偉い人になった、というお話。

 

(そん)(こう)(えい)(せつ) 車胤聚蛍しゃいんしゅうけい  (「聚」は 集める)

『晋書』(晋王朝一代の歴史をあつかう正史)の中にある話で、4世紀の中国の晋の学者、車胤が貧しくて灯油が買えないため、ホタルを集めて明りの代りにし、又 孫康は窓に積もった雪明りで勉学に励んだ、というこのことから一生懸命勉強することの比喩とされた故事。

4番

薄紫色のおうちの花が散っている川辺の宿です。  

宿に泊まっている人は浴衣姿で、団扇でも片手に夕涼みでしょうか。

遠くで 水鶏 という夏鳥の声が聞こえるという風景です。 

 

〇「楝」はセンダンの古名で、春に薄紫の花が咲く。

〇「水鶏」はくいな科の渡り鳥。ハトより少し小さい。くちばしと足が長く、尾は短い。

 水辺の茂みに住む。

 オスの鳴き声が戸をたたく音に似ている事から、その鳴き声を「たたく」と表現して古くから

 和歌などに用いられた。

5番

今まで歌ってきた夏の季語が次々歌われて、締めくくられます。

ほんとに美しい日本の初夏の風景が歌われています。

 

〇「五月闇」は、梅雨の頃の夜がとりわけ暗いことを表現した言葉。

初夏の歌というと真っ先にこの歌を思い出す人も多い歌だと思いますが、明治時代に生まれた歌ですから、若い人たちの中には知らない人もあるかも知れませんね。

戦後の文部省の「五年生の音楽」で、歌詞が1番と5番だけになりました。

それも下記のように平仮名が多くなってとても5年生用とは思えません。

 

うの花のにおうかきねに、

ほととぎす早も来鳴きて、

しのび音もらす 夏は来ぬ。

 

さ月やみ、ほたるとびかい、

くいな鳴き、うの花さきて、

さなえうえわたす 夏は来ぬ。

 

2番・3番・4番と歌ってこそ、初夏の風情が感じられて素晴らしい歌ですのに、本当に文部省は何故こんなことをするのか理解に苦しみます。

その時代のこと、風景のこと、歴史的な話を <教える> ということを忘れている気がします。

   (ちなみに、今は文部科学省ですが、昔の文部省の時代の話なのでそのまま文部省としています)

 

 

  詩の誕生

24歳の時の作品で、明治29年(1896)発行の『新編教育唱歌集(五)』に所収。

『新編教育唱歌集』は全八冊。

 

歌詞は主に古歌からとられ、<本歌取り>と言われています。

万葉集や平安文学、栄華物語や源氏物語などからの言葉を組み合わせ、そして「蛍雪の功」といった中国の故事が<元歌>になっていて、教養がしのばれます。

 

本歌取りとは、古い歌を連想させつつ、あらたな情感を歌う手法のこと

発表以来大いに好評を博したようですが、佐佐木は「軽快なメロディーの曲は良いけど、詞はちょっと」という世間の評判を後々まで気にしていたふしがあり、「夏は来ぬ」に関してあまり書き残していません。

 

 

 

「藤原のり子の日本歌曲の会」が発行している<ゆめの絵楽譜>(ピース:一曲ずつの楽譜)の表紙絵です。

日本画家の畠中光享画伯に描いてもらったものです。

 

ホトトギスは早朝、3時ころからよく鳴くのだそうで、夜に鳴く鳥として珍重され、その年の初めての鳴き声を忍音(しのびね)といい、これも愛されていたようです。

この絵も早朝のまだ暗いころのホトトギスの姿です。

 

 

わからないこと!

万葉集、古今集、栄華物語、などで、たくさんホトトギスが歌われていますが、その中でどうしてもわからないことがあるのです。 

その年の初めての声、忍音、ホトトギスの初音を人より早く聞こうと夜を徹して立って待っていたら着物が濡れてしまった、なんて歌が枕草子など他にもたくさん残っているのですが、なぜそんなにまでして初音を聞きたかったのでしょうね。

当時の人たちには何か特別なご利益があったのかしら・・・

こんなことを、どうやって調べたらいいのかな・・・と思いながら、つい今日まで来てしまいました。

どなたか古い時代のことをご存じの方は教えて頂きたいものです。

 

 

 

  余談

NHKが出版した『日本のうたふるさとのうた』という本があるのですが、その中の、「夏は来ぬ」の説明の部分に、

 

「作詞した当時、佐佐木は京都在住で、この歌も大原の初夏を歌ったものとされる。」

 

とあり、目が点になりました。

京都に住んでたなんて初めて聞いた!

地元の風景を歌った歌だったの? 

とびっくりしました。

その話の真偽を確かめたくて、出版元の講談社に電話しました。

「大原の風景である」は本当かと。その話の出所はどこかと。私の持っている限りの本にはそのような事実はないがと。

後日、担当者から電話が入り、当時、署名入りで原稿を書いたのではないので、今となっては直接誰が書いたかはわからない。確かに、京都に住んだという事実を書いた本はなく、旅をしたという話は本にある。

が、決してねつ造ではないこと、取材したものも交えて原稿を起こしているので、話と旅とがごちゃ混ぜになってしまったのかも知れないこと、いつか増版することになったら、訂正します、大変いい指摘をしていただきまして、ありがとうございましたとのことでした。 

ま、活字になったものは信じたいものですが、本は間違いがたくさんあるものです。 完全勝訴って感じです! (^^) 

 

 

やっぱり歌曲ってすてき!

の。