(だれ)かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた

ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

めかくし(おに)さん 手のなる(ほう)

すましたお耳に かすかにしみた

よんでる口笛(くちぶえ) もずの声

ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

 

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた

ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

部屋(へや)北向(きたむ)き くもりのガラス

うつろな目の色 とかしたミルク

わずかなすきから 秋の風

ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

 

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた

ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

むかしの むかしの 風見(かざみ)の鳥の

ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ

はぜの葉あかくて 入日(いりひ)(いろ)

ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

                詩集『ちいさい秋みつけた』(昭和43年発行)より (ルビも)

 

 

  詩の意味と考察

意味は詳しく書かなくてもわかると思いますが、情景を想像して小さい秋を感じてほしいと思います。

1連

鬼ごっこをしてはしゃぎまわっている子供たちの声が遠くに聞こえます。

夏には野原いっぱいに子供たちのはしゃぐ声が聞こえていたのに、ちょっと涼しくなって、遊んでいる子は向こうの方に少しだけ。

「すましたお耳にかすかにしみた」、というのですから、遠くで「めかくし鬼さん…」と遊んでいるのです。

少しずつ静かになっていく野原、もずの声が秋を感じさせます。

2連

北向きのお部屋は少し寒く、お部屋の真ん中に火鉢がおかれています。

お部屋はあったか、ガラス窓が白く曇っています。

窓の隙間から入ってくるひんやりした風に秋の気配・・・。

火鉢に手をかざして、とろんー。ほーって息を出すとホワーンと白い息。

それらすべてが、まるで溶かしたミルクのように白い世界です。

ハチローらしい絵を見るような詩です。

3連

ハチローの書斎から見える風景です。

東京 文京区のハチローの家には玄関にハゼの木がありました。

ハゼは秋になるとほんとに 真っ赤、になります。

秋になって、高くなってきた空は真っ青。

真赤な 「入り日色」 のはっぱが風見鳥のとさかの上に一枚…。

ちいさい秋をいろんなところに見出したハチローでした。

 

「藤原のり子の日本歌曲の会」が発行している<ゆめの絵楽譜>(ピース:一曲ずつの楽譜)の表紙絵です。

日本画家の畠中光享画伯に描いてもらったものです。

 

 

  歌の誕生

昭和30年11月3日「NHK放送芸能祭・秋の祭典」のために作詞作曲。

一般に親しまれるようになったのは、秋の祭典の時の1回きりで忘れられるのを惜しんで、昭和37年にボニージャックスとダークダックスによってレコーディングされたものの内、ボニージャックス版がその年の日本レコード大賞童謡賞を取ったのがきっかけで、一躍有名になったようです。

 

 

  子供心

詩を書くのに、大人になっても子供の心、童心、を忘れずに持っているということはとても大切なことで、物知り顔の大人になってしまったら、子供に見える世界が見えなくなります。

トトロが大人には見えないように・・・ ^^ 

ハチローは日本童謡協会というのを作って、子供のために、童謡の普及に尽力を尽くした人ですが、ほんとに数えたら切りがないほど、可愛い童謡をいっぱい書きました。ちょっとだけ書いてみましょうか。

 

うれしいひなまつり    ピンク音符あかりをつけましょぼんぼりに・・・)河村光陽 作曲

かわいいかくれんぼ    ピンク音符ひよこがねお庭でちょんちょんかくれんぼ・・・)中田喜直 作曲

とんとん友だち      ピンク音符とんとん友だちみんなで九人・・・)中田喜直 作曲

夕方のおかあさん     ピンク音符カナカナぜみが遠くでないた・・・)中田喜直 作曲

わらいかわせみにはなすなよピンク音符たぬきのね たぬきのね ぼうやがね・・・)中田喜直 作曲 

                               

どうですか、みんなご存じでしたか?

 

 

  歌謡曲から童謡へ

ハチローは歌謡曲のジャンルにもヒットした歌がたくさんあります。たとえば、

 

長崎の鐘  ピンク音符こよなく晴れた青空を・・・)古関裕而 作曲

夢淡き東京 ピンク音符柳青める日燕が銀座に飛ぶ日・・・)古関裕而 作曲

リンゴの歌 ピンク音符赤いリンゴに口びるよせて・・・)万城目正 作曲 

 

でも、昭和25年の松竹映画「長崎の鐘」の主題歌を書いた後、童謡に向かいました。その時の言葉です。

 

「ボクは「長崎の鐘」という歌を最後として、いわゆる流行歌とお別れしたのです。なぜならば、日本には流行歌の作詞者はたくさんいます。

しかしちゃんとした童謡を作る人は数が少ないのです。

これではいけない、日本の子供たちに、ちゃんとした歌をあたえたい。

それには童謡を心から愛してつくる人を育てなければいけない。

とボクは思ったのです。

そこでボクは木曜会という会を作りました。

藤田圭雄・野上彰・菊田一夫、そうしてボクの4人が木曜会の創始者です。」

 

昭和32年9月に始まったTBSテレビドラマ「おかあさん」の冒頭で朗読されたのが

いかにもサトウハチローの詩なので載せておきます。

 

     「ちいさい母のうた」

    ちいさい ちいさい母でした

    ほんとに ちいさい母でした

    それより ちいさいボクでした

    おっぱい のんでるボクでした

      かいぐり かいぐり とっとのめ

      おつむてんてん いないないバア

 

    きれいな声の人でした

    よく歌をうたう 母でした

    まねしてうたう ボクでした

    片言まじりの ボクでした

      ああ アニィローリー マイボニー

      それから ねんねんようおころりよ

 

 

  大きな体に繊細な心

ハチローは本当に子供の心で詩を書いた人でした。

書斎に入ると八歳の頃の子供の心になったといいます。

大きな体をかがめるようにして、ひよこやカタツムリなどの小さい小さい動物を優しく見つめ、慈しみながら詩を書いたすがたが目に浮かぶようです。

それと、ハチローのお母さんは大変小柄な人でしたが、その小さいおかあさんを歌った詩集『おかあさん』はどの詩もたっぷりの愛情にあふれています。

それは、子供の頃大変なわんぱく小僧であったから書ける詩です。

 

 

  年譜とまではいかないけど、少しだけハチローの話

ハチローは波乱万丈の人生というか、本当に大変な人生の人で、不良少年だった時代から学校も転校転校を繰り返し、警察沙汰もあり、と簡単には書けませんので、人物像を想像できるような話題だけ書いてみます。

 

ハチローは、演劇の脚本や大衆小説を書いて名声を博した作家の佐藤紅緑(洽六 こうろく)とハルの長男として生まれます。

子供のころはわんぱく極まりない子だったようです。

父親の「野球のない学校はいかん」の言葉で早稲田中学(現 早稲田高校)に入学。

野球ばかりして勉強しないハチローに、「原級留置き」をいいわたされるのですが、ハチローは「落第」と言わなかったことに感心。

父親は机の上が野球雑誌ばかりなのを見て「おまえが進級したら学校に文句をいおうと思っていた」と。

2度目の1年生を迎えたハチローは学校で不始末をしでかし、停学。そのまま退学。

野球ばかりしていて、どこもすぐに追い出され、心はすさみ、けんかしたり暴れまわったりしていたようです。 京都中学、関西学院、藤沢中学、竜ヶ崎中学など転々。

詩人・福士幸次郎とともに、小笠原父島に渡ります。(感化院があった)

扇浦にあった感化院ではなく、福士の個人感化院でやりなおしながら、教えられて詩の勉強もする。

父島から帰ってきて立教中学に入り、また野球部に入る。

雨の日は練習がないので、詩を書く。ハチローの詩に雨の歌が多いのはこの所以。

大正7年ころ、福士の紹介で詩人 西條八十の門下となる。

西條八十の日記に「12月某日、佐藤八郎なる大少年来る」と書かれているのですが、その時の身長168cm、体重67キロ、15歳。

小笠原の生活で詩を書くことを覚えたが、乱暴な性格と、行いの悪さは直らず、不良少年だった。

浅草には不良仲間が集まっていて、浅草の娯楽街で遊びまわっていた。

秋に警察に呼ばれることが起き、立教中学退学。

どこも続かず、結局 落第3回、転校8回、最終学歴は「立教中学半途退学」。

けんか、ゆすり、たかり、交番に火をつける、と暴れまわり、あちこちの留置場を経験していた。

神楽坂警察・巣鴨警察・本郷本富士警察・上野車坂警察・小石川富坂警察・板橋警察・大塚警察、そして常連の浅草の象潟署と日本堤署。

 

自伝のような随筆集 『落第坊主』 の中の文。

 

「小学校では秀才、一年から卒業まで優等で通した。ウソだと思う方には、いつでも通信簿と3.4枚の副級長の免状をお目にかける。どうして副級長より一枚上の級長になれなかったかというと、操行にいささか難点があったからだ。」

「落第3回。転校8回。おやじからの勘当17回。これがボクの記録だ。ああこの記録に栄光あれ。」

 

大正12年11月 異母妹 佐藤愛子(小説家)生まれる。

大正13頃から

「サトウハチロー」のペンネームにする。

それまでは「佐藤八郎」。

後年、「学校出てないから漢字が書けなくてカタカナなんだよ」と語っていた。

 

 

子供の頃わんぱくだった子は心豊かにおおらかに育ち大物になると言いますよね。

まさしくハチローは童心を持ったまま大人になった人でした。

 

 

 

やっぱり歌曲ってすてき!

の。