詩
たんぽぽ
たんぽぽ
なが咲けば春の風ふき
青き霞は丘をこめ
小鳥らは木の間にうたふ
のどかなるかかる佳き日の
路のべに咲けるたんぽぽ
たんぽぽ
年ごとになれは咲けども
その春にわれはいくたび
あわれいまいくたびめぐりあふ
命なるらん
たんぽぽの花
詩の意味と考察
「なが咲けば春の風ふき」の<なが>は<汝>、 たんぽぽのことです。
たんぽぽの咲く時期になると春の風が吹いて、丘が緑色でこめられる、おおわれるのです。
「青き霞」の青は緑色のこと。
茶色だった地面から、春になって小さい草が芽を出して、ずうっと向こうまで若草色が広がって見えます。
丘全体が小さい緑の草で覆われたのです。
春のぼんやりした空気の中で緑色の霞のように見えるその中に黄色いたんぽぽが点々と咲いています。
明るい春の日差しがあふれています。
小鳥たちは木の間で歌っています。
こんな、のどかな春のよき日に、道のべに咲くたんぽぽよ、と歌っているのです。
そして思うのです・・・お前は、春になる度にちゃんと咲くけれど、この私は、後何度、お前に会えることだろうか・・と。
達治はその時、病気だった訳ではありません。
人には寿命があっていつか終わりが来るけれど、タンポポは毎年咲く、自然はずっとずっと続いて行く、そのことに思いをはせているのです。
青き霞が丘全部をこめて、小鳥が歌って、のどかな道のべにタンポポがいっぱい咲いている、と最初に歌う春が明るくて軽やかであればあるほど、最後の「あはれいまいくたびめぐりあふ命なるらん」の言葉がぐっと心に刺さるような詩となるのです。
私の知り合いの作家さんが、桜の花を見るたびに、来年は見られるだろうか、この桜が最後かも、と毎年言っていた人がいますが、ものを書く人たちは感性豊かですから、たんぽぽが咲いているのを見て、普通に <あ~、咲き出した 春になったんだ>というだけの感想ではなくて、美しいなと眺めながら、あと幾度お前に出会えるだろうか…と無常を思うのです。
繊細な心が感じられると思います。
詩の誕生
昭和19年(1944)に刊行された『花筐』に所収。
萩原朔太郎の妹、アイと結婚し、福井県三国に移り住んだ頃の作品。
演奏のポイント
「この曲はできるだけ早く、軽快に演奏することが大切である。日本の歌曲は早い曲が少ないので、軽快な曲を作りたいと思って作曲した。重く歌ったり、遅く演奏したりすると、この曲の特性が全く失われてしまう。」
と『中田喜直歌曲集』に書かれています。
たんぽぽの雑学
たんぽぽは世界中に咲いている花だそうで、日本では<田んぼの菜>と書いて田菜、というのだそうです。
そして たんぽぽ という呼び方はその田菜の実がほほけてくることから「田菜ほほ」「たんぽぽ」となったという説があるそうです。
本名 <蒲公英>
やっぱり歌曲ってすてき
の。