詩(短歌)

たはむれに母を背負ひて

そのあまり軽きに泣きて

三歩あゆまず

 

 

 

  詩の意味

楽しく母と語らっていた時、ふと、冗談のように母を背負ったのでしたが、背負った瞬間、あまりに軽くなってしまった母に、自分の親不孝を思い、胸が締め付けられて歩くことができなかったのです…。  哀しい心です。

 

 

  詩の誕生

文学を志ざし、中学を中退して岩手県、渋民村から上京し、与謝野鉄幹の『明星』に入り、一時は 「若き才能あらわる」 と文壇の注目の的ともなったのでしたが、啄木自身の病、父親の不祥事と色々翻弄され、一家北海道へと渡ることとなります。

そして、新聞記者などをつとめた後、やはり文学への志を捨て切れず、北海道に家族全員を残したまま、単身上京します。

でも、詩にも小説にも失敗し、生活も困窮を極めた時、心の中の叫びそのままに書きつづった短歌を集めたものが『一握の砂』という短歌集で、この歌はその中に入っている歌です。

いつまでたっても遠くにいる年老いた母や妻子を呼び寄せることが出来ずに悶々とした日々を過ごしていた中で生まれた歌ですが、母に親孝行したいとの思いを、経済的に不可能にしている貧困状態が、一層かなしいい一首、歌です。

 

 

  わがままな啄木

啄木は今の盛岡市の北の方にある曹洞宗 常光寺というお寺の、住職の長男として生まれました。

女の子が二人続いた後に生まれた男の子に、両親が溺愛します。

妹も出来て、女姉妹ばかりの中で育ちました。 

兄弟けんかをしても、いつも叱られたのは妹だったようです。

いかに啄木を溺愛したかが、よく分かる歌があります。

 

 ブルー音符母われをうたづ 

  罪なき妹をうちて 

  懲らせし日もありしかな

 

この「たわむれに・・・」の歌が多くの人に読まれて以来、啄木は親孝行なのだと思われていることに対して、妹 光子は著書『兄啄木』という本の中でこのように書いています。

「盲目的な愛が ああしたわがままな人間にした」、

「一生の間、母をおどおど させとおした兄には、親孝行、などという賛辞は微塵も用意する必要はない、それが事実だから」

とありますが、本人も充分わかっていたようで、こんな歌があります。 

 

 ブルー音符ただ一人の

   をとこの子なる我はかく育てり。

     父母もかなしかるらむ。

   (男の子一人の自分はこんな風に育ってしまった、父母も哀しいことだろう)

 

 ブルー音符父母の 

  あまりに過ぎたる愛育に

  かく風狂の児となりしかな

   (お父さんお母さんがあまりに過保護に大事に僕を育てたものだから、こんな風に狂ったような

     わがままな子になってしまった)

 

風狂はきちがいの古語的表現 

性格は小さいころの育て方も影響するといいますから、わがままいっぱいに育ってしまった啄木です。


 

  母への思い

母というのは <心のふるさと> で、母のもとで過ごした子供の頃の思い出が、その人の原点になっている、という場合が多いものです。

わがままな啄木ですが母親への思いを感じさせる手紙があり、友人にあてた手紙をそのまま、書いてみます。

 

「腰のすっかり曲がってしまった僕の母は、僕の為に茶断ちをして平復を祈つてゐてくれる。君、六十幾歳の今日まで何一つ娯楽といふものを有たなかつた僕の母にとつては、喫茶といふ事はその殆ど唯一の日常の慰めでもあり、賛沢でもあつた。

僕はまだずつと幼なかつた頃から、母が如何に満足気な様子をして、朝々の食事の後の一杯の茶をすすったかを見知つてゐた。  

その好きな茶をふっつり断ってしまった母の心は、僕にもよく解る、さうして十分感謝してゐる。  

又神に祈り、仏に祈り、茶断ちといふ犠牲的行為までも敢てして、絶えず僕の為に心を労してくれる母を持つた事を此上ない幸福だと思ふ。」

 

どんなに自己中心的でわがままでも、やっぱり母を大切に思わない子供はいませんね、これを読んで少しうれしい気持ちになります。

 

 

  啄木の生家 常光寺

啄木は先ほど書きましたように、常光寺というお寺の、住職の長男として生まれましたが、次の年、父親が渋民村の宝徳寺の住職になって行き、啄木はそこで育ちます。 渋民村 宝徳寺は啄木の故郷として有名ですから、行かれた方もありますでしょうか。

常光寺の方は 啄木生誕の地 として残されています。      

 

奥に見えているのが常光寺

常光寺の前のひばの大木

  ブルー音符ふるさとの寺の畔の

   ひばの木の

   いただきに来て啼きし閑古鳥!

 

 

  愛される啄木の歌

啄木の短歌には有名な歌がたくさんありますが、いくつか取り上げようと思っても選ぶのに困るほどです。

 

 ブルー音符東海の児島の磯の白砂に

  われ泣きぬれて

  蟹とたはむる

 

 ブルー音符砂山の砂に腹這ひ

  初恋の

  いたみを遠くおもひ出づる日

 

 ブルー音符はたらけど

  はたらけど猶わが生活楽にならざり  

  ぢつと手をみる

 

 ブルー音符ふるさとの訛なつかし  

  停車場の人ごみの中に  

  そを聞きにゆく

 

 ブルー音符ふるさとの山に向ひて

  言ふことなし

  ふるさとの山はありがたきかな

 

 ブルー音符やはらかに柳あをるめ

  北上の岸辺目に見ゆ

  泣けとごとくに

 

 ブルー音符友がみなわれよりえらく見ゆる日よ

  花を買い来て

  妻としたしむ

 

 ブルー音符不来方のお城の草に寝ころびて

  空に吸はれし

  十五の心

 

 ブルー音符かにかくに渋谷村は戀しかり

  おもひでの山

  おもひでの川

 

 ブルー音符ふるさとの寺の畔の

  ひばの木の

  いただきに来て啼きし閑古鳥!

 

 ブルー音符いたく錆びしピストル出でぬ

  砂山の

  砂を指もて堀りてありしに

 

石原裕次郎が歌った「錆びたナイフピンク音符砂山の砂を指で掘ってたら真っ赤に錆びたジャックナイフが出てきたよ)」は、作詞した萩原四朗が啄木の大ファンで、この歌を下敷きにしたそうです。

啄木は特別なものを題材に取らず、極身近な日常的なことを、飾らずに自然体で歌っているので、私たちにも実感として感じるものが多く、愛されているゆえんだと思います。 

 

 

 

やっぱり歌曲ってすてき!

の。