遠き別れにたえかねて

この高殿に登るかな

悲しむなかれ我が友よ

旅の衣をととのえよ

 

別れといえば昔より

この人の世の常なるを

流るる水を眺むれば

夢恥かしき涙かな

 

君がさやけき瞳のいろも

君紅の唇も

君が緑の黒髪も

またいつか見んこの別れ

 

 

  詩の意味と考察

1連

遠くなるだろう別れがあまりに辛くて耐えかねて、高いところにのぼってきてしまった…でも、悲しむことはない、旅の準備を整えなさい。

 

高殿とは、大きな御殿とか2階以上の建物とかいう意味なので、ひとまず高いところとしました。

2連

別れというのは昔より人の世の常のことで、出会ったら別れるもの。

川の流れを見れば、当たり前のこと。

永遠に共にいることを夢みるのは恥ずかしいけど、涙がにじむ。

 

3連

君の美しく澄んだ瞳も紅の唇も、そして美しい黒髪も、今は別れても、またいつか必ず見るだろう。

 

 

  歌の誕生

昭和19年、戦争が激しくなって、学徒動員が行われるようになり、中央大学の藤江英輔が、戦地に赴く友人の為に、島崎藤村の詩の言葉を少し変えて「惜別の歌」に仕立てました。

学徒出陣の際、送別の度に歌われたようです。

 

戦後、歌声喫茶で歌が広まり、小林明がレコーディングしてヒットとしました。

 

 

 

  元々は4番まであった!

中央大学の出版物の中に、「島崎藤村の処女詩集『若菜集』に載っている「高楼」という詩の中から1.2.5.7連を取ってきて「惜別の歌」とした」、とありますから、本来は4番までの歌だったようです。

でも、4番(7連目の詩)を楽譜として載せている本を私は見たことがなく、知りませんでした。

多くの本が上の3連までで、小林旭のレコードも3番まで歌っています。

 

歌になった4番は下の通り

ブルー音符 君のゆくべき 山川は 落つる涙に 見えわかず

  袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな

 

最後に「君に贈らん花もがな」と歌っていますが、「当時は文字通り一輪の花も無く、友よ許せ…、と言葉にならぬその思いが歌われるので、是非4番まで歌っ­て欲しい。」と藤江が自身語ったといいます。

 

「もがな」は、願望の言葉。花があってほしい、あったらいいのに…の思いです。

 

  元は姉妹の別れの歌

学徒出陣に際しての悲しい別れの歌ですが、元々は違いました。

 

元の詩は、『若菜集』に載っている「高楼」という詩で、お嫁に行く大好きなお姉さまとの別れを悲しむ、姉と妹の会話調の詩になっているのです。

長いですが、全詩を載せてみます。

 

とほきわかれに  たえかねて このたかどのに のぼるかな

かなしむなかれ わがあねよ たびのころもを とゝのへよ

わかれといへば むかしより このひとのよの つねなるを 

ながるゝみづを なかむれば ゆめはづかしき なみだかな

したへるひとの もとにゆく きみのうへこそ たのしけれ

ふゆやまこえて きみゆかば なにをひかりの わがみぞや

あゝはなとりの いろにつけ ねにつけわれを おもへかし

けふわかれては いつかまた あひみるまでの いのちかも

きみがさやけき めのいろも きみくれなゐの くちびるも

きみがみどりの くろかみも またいつかみん このわかれ

なれがやさしき なぐさめも なれがたのしき うたごゑも

なれがこゝろの ことのねも またいつきかん このわかれ

きみのゆくべき やまかはゝ おつるなみだに みえわかず

そでのしぐれの ふゆのひに きみにおくらん はなもがな

そでにおほへる うるはしき ながかほばせを あげよかし 

ながくれなゐの かほばせに ながるゝなみだ われはぬぐはん

                   『藤村詩集』より

 

 

このように元々の藤村の詩はすべてひらかなでした。

意味はおわかりいただけるかなと思いますが、姉妹のあたたかい細やかな情が歌われています。

 

この詩から4連(かき色の部分、1.2.5.7連)をとって「惜別の歌」という曲になった時点で、藤村の本来の詩、姉妹のやさしい心通わす歌ではなく、戦争に出向き、もう二度と会えない人への思いの歌となりました。

 

1連目の「悲しむなかれわが姉よ」は、著作権者の了解を得て「わが友よ」に変えられています。

 

 

  別れの歌には魅力がある

別れの歌というのはとても魅力的です。

この世での別れは常のことで、流れる水のごときもの、会えば別れがある、と言われますが、いくらわかっていても、やはり別れは辛いです。

別れには、その人への、尽きることのない思いを断ち切らなくてはならない、という切なく辛い思いがあります。

その切なさが別れの歌を魅力的にさせるのだと思うのです。

 

 

  最も辛い別れ

この世に生きていて、悲しいものの最たるものは<別れ>だと思いますが、それも、この世でもう会えない別れです。

死んでいく人もこの世へ思いが残って無念でしょうけれど、残された人の悲しみは計り知れません。

これは頭で考えているのと、実際体験してみるとではまるで表現のしようもないほど違います。

<悲しい> という言葉がとても軽く思えるほどの心になります。

この世はこんなに過酷なのかと、生きている意味を考えたりします。 

私は父と母、そして私の大恩人、そして私になくてはならない支えだった姉、の4人も次々と別れなくてはなりませんでした。

どんな言葉をもってしても、心の中を表現することは出来ない、と思いました。 

でも、慟哭の経験をして、今までとは違った見方で、歌が、詩が、見えてくるかもしれない…とも思いました。

別れの歌を心から歌える私、にしてもらったかのな、と思えるようにもなりました。

 

世の中に、喜びの歌より、はるかに多く、別れの歌が存在するわけですが、大詩人の

ゲーテが言いました。「詩は諦念(ていねん)より生まれる」と。

 

諦念とは、あきらめの境地に達すること。

私は戦争を知りませんが、私がまだ生まれていないとき、父が戦地で特攻隊に志願して敵地の偵察に行ったと言っていました。ちょうどその後終戦になったので日本に帰ってきましたが、母と姉を守るために、しいては日本を守るために、特攻隊に志願したのだと言っていました。

戦地に赴く青年がよく「恋人を、家族を、守るために戦ってきます」って言葉を映画などで耳にしますが、どんな思いなのでしょう…想像するしかないことですが、尊敬したくなるような頼もしい男らしい言葉だと思います。

そしてなにより、その強さが悲しく思えます。

手柄などいいから生きて帰ってきて、と私なら言ってしまいそうで…。

その人たちのあるおかげで今の平和な日本があるわけで、よくそのことを私たちは感謝というか、理解しなくてはいけないと思っています。

 

春は母と姉、夏は父と大事な恩人を亡くした季節、私にとっては春も夏も追悼の季節です。

亡くなった人たちに守られている、生かされている、と思っています。

 

 

 

やっぱり歌曲ってすてき!

の。