せつなき恋をするゆゑに

月かげさむく身にぞ沁む。

もののあはれを知るゆゑに

水のひかりぞなげかるる。

身をうたかたとおもふとも

うたかたならじわが思ひ。

げにいやしかるわれながら

うれひは清し、君ゆゑに。

 

 

  詩の意味と考察

月の光は美しいものですが、切ない恋をしているとよけいに胸にしみるのです。 

もののあわれを知っていればいるほど一人で見る水の光の美しさが嘆かれるのです。

月が池に写って揺れて光るその美しさ、あの人と一緒に見たならばどれほどにか感動する美しさであろうに、今は一人で見る身となると、その美しさがかえって切なくて嘆かれるのです。

我が身を「うたかた」、水に浮かぶ泡のような存在で、すぐにはかなく消えてしまうような自分なのだ、と思ってはみても、この思いだけははかなく消えるうたかたじゃない。

卑しい自分だけれど、あの人を思う憂いだけは、清らかだ、と相手の女性をほんとに大切な相手としてあつかっているのです。

 

切ない恋をしたから、もののあわれを知っているから、よけいに月の光や水に写る光が心に染みて嘆かれるのだ、というあたりがとても美しい詩だと思います。

 

「月かげ」の <かげ> は光のこと

「うたかた」は泡のこと

「げに」は誠に

 

  詩の誕生

大正10年7月発行の第一詩集『殉情詩集』所収。

『殉情詩集』は、大正2年から10年春頃までの詩23編を収める。

 

 

  『殉情詩集』出版の意味

小節 『田園の憂鬱』その他ですでに流行作家としての位置にあった佐藤は、谷崎との間で行われた有名な<妻譲渡事件>のあと、傷心の中でたくさんの歌が生まれていき、出版したのが『殉情詩集』。当時29歳、

その詩集の自序に、

「われ今日人生の途半ばにして愛恋の小暗き森かげに到り。わが思いは うたた 落莫(らくばく)たり...。」

 

「うたた」(転た)は、物事や物事に感じる心情の程度が進む様子。いよいよ、ますます、一層。

「落莫」は、もの寂しい様子。

と書かれているように、普通一般の詩集のように、詩を書いて世に問う、という形とは性格を異にし、もっぱら著者の特殊な悲恋の苦しみと純情をあかすために刊行された詩集。

佐藤の悲恋の苦しみと純情が世間の共感をよび、同情を買う形となり、この詩集1巻によって佐藤の詩人としての地位を不動の物にする事になりました。

        

 

  妻譲渡事件とは

当時はセンセーショナルな事件で、新聞に谷崎と妻のお千代、そして佐藤の3人の連名で、「話し合ってこのように致しました」という文章を堂々と載せるくらいですから、誰でも知っている事件、だったようです。

私は大体において、週刊誌的な話、誰と誰がつきあってる、不倫をしてる…等の話は好きじゃありません。そもそも男女の仲のことは他人には分かることではないですし、大人同士が好きあっているのですから他人がどうこう言うことじゃないと思うのですが、この二人の話は、なんとも開けっぴろげと言いますか、堂々としていまして、新聞に公表したり、佐藤自身が自分と谷崎の名前を替えて出来事をそのまま

『一情景』と言う小説に実話を書いたりしています。

 

でも、ご存知じゃない方のために、詩の心を理解して頂く程度のお話しをしようと思います。

 

当時佐藤は29歳、すでに流行作家としての位置にありました。

そうなるまでには、谷崎の強力な後押しがあってのことで、二人はとても師弟関係というよりはもっと親しく付き合っていたようです。

佐藤は谷崎の家にしょっちゅう行っていました。

そこで話は始まります。

 

事の発端は、谷崎が妻のお千代よりその妹の方を可愛がっていることに佐藤は気づきます。

そして、お千代の相談相手になったりしている内に親しくなって行く訳です。

それで佐藤は谷崎にこのままではよくない、と話しあって谷崎がお千代の妹と、佐藤がお千代と一緒になると全てが上手く行く、と谷崎と佐藤は約束をするのです。

「一見とっても非常識に思えますが、実は芸術家同志の深い配慮と暖かい情と友情が感じられる」との説もありますが、なんだか男の身勝手みたいに私は思えたりしますが、ま、横に置いて。

そのまますんなりことが運べば良かったのですが、谷崎は気が変わって、というよりは事情が変って、もう一度妻とやり直すことにしたのです。

それで放りだされた格好の佐藤は、世間からも谷崎の妻と不倫だったのでは、とあれこれうわさされ、悶々と過ごすことになるのです。

 

佐藤曰く「もともとお千代の幸せを願っての夫婦の間に立った訳だから、お千代は子供の事等も考え、夫のもう一度やり直そうとの考えを聞くと、泣く泣くでも僕に対する感情を捨てなくてはならなかった…」となります。

でも谷崎に対しては、怒りがこみ上げます。

それまで大変な親しさだった二人でしたが、その後長い間絶交することになります。

 

その後も谷崎の夫人お千代への想いは止まず、傷心の日々の思いを 詩、という形で書き留めたものを『殉情詩集』と題して出版しました。

その、佐藤の純情と悲恋の苦しみとが世間の同情を買う形となり 、<詩人としての地位>を不動の物にする事になりました。

<小説家佐藤> ではなく <詩人佐藤> ができたのです。 

ほんとに世の中 <塞翁(さいおう)が馬>、何が幸いするかわかりません。

 

 

 

  素晴らしい歌曲

この曲を書いたのは、宮本(たか)(ゆき)という人で、他にも作曲したものがあるのかどうか私は知らないのですが、佐藤春夫のものばかりを集めた「佐藤春夫の詩による宮本和侑歌曲集」という歌曲集の中に何曲も好きな歌を見つけました。

佐藤春夫の詩の心、傷心を表現するのにこれほど真っ直ぐに心にしみてくるメロディーを書く人はそうないかと思われるほど、ひたすらシンプルで、詩と調和したすばらしい歌曲だと思います

「水辺月夜」の詩は、絶品絶唱、と言われていますが、仕上がった曲としても絶唱だと思えます。

 

 

 

  秋は物思い

秋には失恋や片思いが似合う...なんて言い方は良くないかも知れませんが、ため息と共にもの思いに沈むせつない姿が枯葉の中では絵になります…。

落葉を踏みながら歩いていると、ふと人生の事、別れた人の事を思い出したりして、みんなが詩人になれる季節だと思います。

 

10月は神無月といいますが、新古今集集の中にこんな歌があります。

 ブルー音符神無月 風に紅葉の散る時は そこはかとなく 物ぞかなしき

風に紅葉の散るのを見ると限りなく哀しい、と言う意味ですが、本来 秋は実りの秋、お米も果物も豊かに実って、お祭もあったりと楽しいイメージが定着してもいいはずですのに、物思いの季節のイメージを作り出し、失恋などの悲しみを詠むようになったのは古今集以降だそうです。

 

「生産現場に遠い宮廷人が葉の散るのを見て物哀しいと感じて沢山歌を詠んだため」だと、ある新聞にありました。

それで、ハッと気づきました!

 

秋と聞いてすぐに物思いの季節と連想する人は、先祖は宮廷の人かも…

秋は絶対実りの秋、食欲の秋よ、と思う人は先祖は農民だった…

 

って発想はどうでしょう?(^^;)

あなたはどちら?(^^;)

 

 

 

やっぱり歌曲ってすてき!

の。